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弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

生き存えるということ

熊本地震から四ヶ月。ようやく最後の行方不明者の学生さんが帰ってきた。この四ヶ月間のご家族のことを考えると如何許りかと言葉もない。時は止まったまま、色も匂いも味もない世界ではなかったか。御冥福を祈り合掌。 五輪や甲子園に沸きかえる夏。一方で日航機墜落事故から三十一年目、そして終戦から七十一年目の夏。日本の八月は国民総供養のレクイエムの月だ。この世に生まれたものはいつしかすべて消え失せる。永遠などない。だからこそ人も動物も植物もその日その日を一所懸命に生きている。喜怒哀楽に一喜一憂する。それが生きるということだ。

私は神様やほとけさまを熱心に信仰してはいないが、日本各地の寺社を訪ねることや、仏像や神像を拝観することは好きだ。先月、上野の博物館で中宮寺の半跏思惟像を拝観した。中宮寺にはまだ行ったことがなく、初めてその微笑みと対面した。千四百年余りを生き存えてきた御仏。千四百年分の祈りの重みをずしりと感じる。

それにしても美しい。まさに美の極致である。とろりとした漆黒の肉体。蓮弁に乗せたしなやかな左足。右手は人差し指を顎に当てた思惟のポーズ。組んだ右足に重ねた左手はことに素晴らしい。ピアニストのような細く長い指。当時はピアニストはおろかピアノすらないのに、いったい誰をモデルとしたのか。そしてなんといってもあの微笑の唇。正面からみるとさほどわからないが、横からみると肉厚な艶かしい唇をしておられる。もしも目の前にいたら、私は思わず口づけしてしまうであろう。

私は推古時代の風習に明るくはないが、双つに結った髪形は男性とも女性ともわからない。ほとけさまには男女の別はないが、少年にも見えるし、母性的な面影もある。あるいは聖徳太子の少年の頃の姿であろうか。元は鮮やかな彩色があったとも聞くが、その想像図と比べてみても現代を生きる私たちには、やはりあの漆黒のお姿が中宮寺のほとけさまには似つかわしい。これまでも広隆寺の宝冠弥勒をはじめ半跏思惟像はたくさん拝んできたが、等身大の中宮寺のほとけさまには格別のインパクトがあった。

今まで私は中宮寺のほとけさまも弥勒菩薩と思っていたが、寺伝では如意輪観音であるという。しかし造られた時は未来を見据えた弥勒ではなかったか。私にはこの千四百年を生き存え、今を生きとし生けるものすべてが滅び去っても、この星と日本がある限り、あるいは大震災や戦災が襲わない間は、ずっと生き存えられるのだ。斑鳩の地にただ静かに坐して微笑んでいる。遠く未来を見つめ考えていらっしゃる。我らをどう導き救うことができるのかを。そして平和な今を、精一杯生きよと諭されている。やはり私には中宮寺のほとけさまは、お釈迦さまが入滅後、五十六億七千万年後に衆生を救うとされる未来仏にしか見えない。弥勒菩薩にしか見えなかった。