弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

ターニングポイント

未来の人々に、平成という時代はどんなふうな印象を与えるのだろう。今私達の生きる平成時代は、ITから派生した第三、第四の産業革命があり、世界大戦ではないが方々で終わりなき小競り合いを繰り返し、ある程度まで国家が成熟すると環境とか個々の精神とかの問題に突き当たっている。我が日本も、 頻発する大災害、超高齢化社会社会保障問題、格差、貧困、教育、多発する犯罪等々、ある意味においては負のラビリンスから抜け出せないでいる。歴史上その時々で常に難局はあるものだが、ここまで問題が林立して、何一つ打開の糸口が見つかっていないというのが現状だ。これはもう「お上」のみに任せておけばいい問題ではなく、国民一人ひとりが真面目に考えなくてはいけない。確かに我々は大政を政府に委任しているわけであるが、解決できていない以上は各個人においても、できることから何かを取り組んでいかなくては、経済財政のみではなくて、いずれ本当にこの国は破綻してしまうであろう。

こういう折、天皇陛下が生前の御退位についてお気持ちを内外に表明された。陛下が自ら国民に向けて、象徴天皇として、また天皇家という日本一の名家の家長として、そして何よりも一人の人間として率直に示されたお言葉に、私は大きな感銘を受けた。放送を拝聴したあと、改めて文章を拝読したが、ここ最近読んだどんな文章よりも私の心に響いた。

だが、正直いうと私は、最初に陛下が御退位を考えておられるとの報道を聞いたときは複雑であった。憲法皇室典範の問題のみならず、明治以降は退位の例がない。考えが古いかもしれないが、明治以降の歴代天皇崩御されるまで天皇であった。この国体というものが崩壊しかねない。天皇の権威も失墜はせずとも薄れてしまうのではないか。近い将来、天皇定年制になると、いつか退位を望まれない天皇がいたならばどうなるのか。天皇も一人間と考えると、退位が本意ではない天皇も現れる可能性はある。さらには、果たして今後この議論がまともに進むのかという懸念もあった。どこぞの学者が、保元の乱の二の舞になる恐れがあるなどと言ったが、それはあまりに時代錯誤にしても、私個人としては、生前に譲位されるほうが、天皇制存続の危機をいずれは助長させはしないだろうかと思った。

しかしながら、天皇陛下がご即位以来、約三十年の間、皇后陛下と共にただひたすらに日本国民の安寧と世界の平和を祈念されてきたことは、全国民が知っていることである。これだけ、国民のために真摯に尽くされてきた天皇陛下のお気持ちを、今度は私たち国民がしっかりと受け止めて、切なる願いを叶えて差し上げたいとも心から思う。本当に心から。陛下は年齢のことだけではなく、これから先、男系男子の皇位継承を維持し、いずれ悠仁親王がスムーズに御即位できるためにも、先例として御自ら発信されたのではあるまいか。宣なるかな、世論調査では圧倒的に生前御退位に賛成との結果が出た。

平成生まれが活躍する昨今、昭和から平成へ変わった日のことを知らない世代も多い。私は昭和五十年の暮れに生まれた。昭和が終わった日は中学一年の三学期であったので、さすがによく覚えている。昭和が終わる半年ほど前から、昭和天皇のご容態について、ニュースでは毎時、御熱や御脈を報じ続けた。今上陛下は摂政にはなられずに、皇太子として、天皇の国事行為を代行されていた。そして激動の昭和は六十四年と七日で幕を閉じる。昭和天皇崩御されるとすぐさま今上陛下は即位され、三種の神器を継承する「剣璽等承継の儀」へ臨まれた。ここから平成元年二月二十四日の御大葬まで日本は色のない世界であったように記憶している。どんよりとした黒白の世界。御大葬当日も冷たい雨の日であった。皇居から葬場殿のある新宿御苑まで、葬列はゆっくりと進む。大喪儀以外ではみだりに奏することが憚れている「哀の極(かなしみのきわみ)」という葬送曲が、大正天皇の御大葬以来、自衛隊皇宮警察音楽隊によって吹奏されて、沿道では多くの国民が雨の中見送っていた。 この暗く哀しい昭和が終わった日は、当時思春期の私にとって強烈な印象を残しており、天皇という存在、皇室の歴史、ひいては日本の歴史についてもっと深く学びたいと思うきっかけになった。また人間が亡くなるということはどういうことなのかと考えたり、先の大戦のことも天皇裕仁を通して少しずつ輪郭を掴み、さらに踏み込むようになったのである。この時が私の人生の最初のターニングポイントであった。

御大葬が終わると両陛下や皇族方は一年間喪に服されたが、御大葬の翌日からは急に色が戻ったような印象であった。そして翌平成二年十一月十二日。今上陛下の即位の御大礼は、まるで昭和三十九年の東京五輪のときのように雲ひとつない秋晴れの日で、あれほどに色鮮やかな日を私は知らない。即位礼での陛下は、日本国憲法の定めに従い象徴としての務めを果たしたいと仰せであった。パレードでの両陛下の笑顔は忘れられない。新しい時代が始まったのだとつくづく実感したものだ。

それからまもなく三十年。今、日本という国が、平成時代最大の転換期を迎えている。日本の歴史の転換期には必ず天皇という存在があった。大化改新壬申の乱摂関政治から院政期にかけて、保元平治の乱承久の乱建武の新政明治維新から先の大戦の終わりまで。大まかに挙げてもこれだけある。もっとも、室町中期から幕末までは蚊帳の外に置かれたような時もあるにはあったが、その権威はいつの世も絶対であった。

このたび天皇陛下が示された、生前御退位のお気持ちは、我ら平成という時代を生き、平成を作ってきた日本人皆で温かく受け止めたい。平成を見守り続けてきた両陛下への感謝とともに。対岸の火事とか絵空事とか思うのが日本人は世界でも得意な人種だろう。シラを切るのが抜群にウマイのだ。一方で地域を愛し、内外を問わず人に対して心より親切に接する、おもてなしの得意な民族でもある。日本人は天皇陛下の生前御退位という歴史的な出来事をもっと真剣に見つめて考えるべきだろう。今、我々は歴史の大きな転換期を生きている。