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弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

沙汰の限り

言語道断。呆れ返っている。豊洲市場の問題だ。よくもまあ、ここまでいい加減にやってきたものだ。東京都は財政も黒字で、日本の中にあって違う世界に映る。何もかも一人勝ちの独り歩き。だが、勝って、勝って、勝ちまくっても、東京は兜の緒を締めなかった。締め忘れたのだろうか。調子に乗るからこういうことが起きたのだと思う。

私は職場が築地にある。毎朝築地本願寺を通り出勤する。築地で働く人、築地の魚を愛する人、物見高い外国人、毎日築地には様々な人が行き交う。東京でも指折りのインターナショナルな街である。なぜここではいけないのか。豊洲は開場前にすでに魚河岸のブランド力を失ってしまった。あそこに水揚げされた魚を食べたいと思うか?誰も思わないだろう。築地でよいではないか。「築地こそ魚河岸」である。思えば、関東大震災のあと、日本橋から築地へ魚河岸が移転したときも、やはり反対する人々が多くいただろう。築地はたかだが九十何年だが、日本橋は江戸時代から三百年も魚河岸があったのだから、当時の人々からすれば「日本橋こそ魚河岸」であっただろう。だが、当時は大震災という壊滅的な打撃があった。今はそうではない。一部の人の利己主義ではないか。築地市場は老朽化して危険であったり、衛生的な面も改善が必要であることはわかっている。ならばそれを少しずつ直していくという選択はなかったのか。はじめから移転ありきで強引にやるからこういう事態になったのではないか。外国ではこんなことはしない。その土地の空気や息づいてきたイメージを大切にする。いかにも日本だけが、いや東京だけがこういうことを軽々にやる。

五輪の件もそうだ。何から何まで、結局は当初のプランはほとんど実現不可能で、結局カネ、カネ、カネである。そもそも私は東京で五輪をやること事体反対であった。なぜならば、こうなることがはじめから解っていたからである。ここ三十年ほどの五輪は国家の威信をかけて、ド派手にやるのが通例。それを見ていれば、日本がコンパクトになんてできるわけがない。無論、財政的に苦しい地方で開催なんかできるはずもない。五輪開催は確実に後から後から、予算が膨張するであろうことは、烏が見ても明らかである。だから予算がオーバーしていくことにはまったく驚きはない。当然だと思う。故に最初から反対だったのだ。東京都もいよいよお先が見えてきたという感じがする。いつの世も奢れる者は久しからずなのだ。

日本よ、東京よ、そんなことをしている場合なのか。この国には明日をも困る人が山ほど溢れているではないか。年間にどれほどの人が貧困で亡くなっていると思うのか。貧困や虐めでの自殺者も痕を絶たない。七十年以上戦争のない国で、これは異常なことではないのか。都市でさえも、夕張市のように財政再建団体に陥っているところがあるのだ。それなのに東京は何なの?一人勝ちしていればそれでいいの?大災害も頻発し、東北も九州もいまだに仮設住宅で暮らす人がたくさんいる。東京よ、それはほったらかしなのか。築地移転は老朽化や狭いという問題だけではない。あの場所に道路を作りたいからだという。

私も五輪を観戦するのは大好きだ。選手の活躍には感動し涙もする。彼らが日の丸を背負って戦っている姿には大いにエールを送りたいし、それは本当に素晴らしいことだ。これに勝るものはなかろうと思う。だが、それとこれとは別の問題だ。ここまで税金を無駄使いし、これから確実にまたカネ、カネ、カネとなる。誰がこれを負担するのか。私たち都民であり、国民である。ここにこれだけカネを使うのであれば、他に今すぐやらねばならんことがあるのではないか。そしてもちろん、我々市民にも責任はある。豊洲の問題はいざ知らず、五輪のことがこれだけいろいろ揉めるということを、鼻っから想像しなくてはいけない。誰に責任があるのかといえば、それは私も含め大人全員だ。政府も、都庁も、議会も、マスコミも、市民も、すべてが五輪の華やかな部分だけに憧れ、獲り憑かれていたのである。私たちはもっと先を見据えて議論し行動しなくてはならない。私らの作ったツケを未来を担う若者や子供達に押し付けていいのか?そこまで考えなくてはいけないのだ。感性だけで行動していいのは、子供と芸術家とアスリートだけである。他の全ての大人は老若男女、学歴、職業関係なく社会というものを大局的に考え、創造しなくてはいけない。いや、今現在、路頭に迷い、明日が見えない人はそんなことは考えなくていい。自分の明日と明日の自分のことだけ考えればいい。そうでない大人は考えて生きてほしい。

一昨日は銀座通りで五輪メダリストのパレードがあった。沿道は八十万人の大観衆であったという。大いにけっこうなことだと思う。活躍した選手を祝福し、元気や勇気を与えてくれた選手を労い、共に喜びを分かち合う。すばらしいことだ。こういことは続けていってもらいたい。くり返すが、私は五輪そのものを否定しているわけではない。選手のことは尊敬し心から応援している。そしてその選手達に熱い声援を送ることも、もちろん素敵なことだと思う。だが、そこに便乗する行動、事業には疑問を抱いてしまう。悪乗りとしか思えないこともたくさんある。そのおかげで結果的に五輪のイメージ、東京のイメージを損ねていることが、哀しく悔しいのである。五輪開催は決まっていることだから、せめて今からでもカネをかけなくてもできるところはどんどんそうしてもらいたい。何にせよ、苦しい生活を強いられている日本人は数多いる。国や東京都は市民の血税で、やっていることを忘れてくれるな。

今度の都知事に最期の望みを賭けたい。男はだらしなく嘘つきばかりだ。女都知事で何とかならぬであろうか。幕末、江戸無血開城と徳川家存続に大きく行動したのは、天璋院と静観院であった。天武帝亡きあとの揺らぐ大和朝廷の礎を固めたのは持統女帝であったし、承久の乱を収めたのは尼将軍政子であった。歴史的に見ても、男が散らかした後始末は女性にしかできないのかもしれない。