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弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

泰然自若

私の座右の銘。長年探してきたが、この歳になり、この度ようやく感得した。泰然自若。この言葉が、私には最もしっくり来る。そこにはいつもこう在りたいと、切なる願いも込められている。

世の中まことに忙しない。私もいつも忙しない。仕事、家族、人間関係、些細な事で、バタバタと取り乱してしまう。私は、慌てふためき、取り乱すことほど、恥辱的なことはないと常々思って生きてきた。冷静沈着に物事を見つめ、相対的に見定め、少し下がって俯瞰する。それを嫌味もなく、ごく自然に振る舞えたら。それが、私が目指している理想の生き方なのである。それでも未だ若輩者。取り乱すことの方がまだまだ多い。僅かずつでもいいから、歳を重ねるごとに堂に入りたいものである。

 今年の有馬記念は、三歳馬サトノダイヤモンドが、名うての古馬陣を撃破した。彼は、泰然自若を体現するサラブレッドである。パドックでも、本馬場入場しても入れ込まず、実に堂々たる勇姿で、早くも老練いぶし銀な風格を備えている。私はもう二十年以上、競馬を観てきたが、あんなサラブレッドは久しぶりに出逢った。強い馬、名馬はたくさんいるが、馬体全身から、あの種のオーラを放つ馬はそうはいない。競馬を楽しむ人ならわかるはずだ。サトノダイヤモンドの父ディープインパクトは、確かに強い馬であったが、どこか子供みたいな、うぶで親しみを持てる、可愛い馬であったように思う。だが、ラストランの有馬記念では、鬼の形相で圧勝していた。あの時ばかりは、いつものディープインパクトではなかった、極限の仕上げを施されたゆえだけではないだろう。神が宿るとは、ああいう顔をいうのだと、私は思っている。だが、そのディープインパクトには感じなかった、他を圧する独特の雰囲気を、言うなれば真の王者の貫禄を身に纏っているのが、その子サトノダイヤモンドである。かつては、エアグルーヴエルコンドルパサータイキシャトルシンボリクリスエスキズナが、私にとっては泰然自若を体現する、忘れ得ぬ名馬であった。現役時代は見ていないが、おそらく三冠馬シンザンシンボリルドルフも、古い映像や写真からは、サトノダイヤモンドと同じオーラを感じる。サトノダイヤモンドの調教師や、騎手に言わせれば、彼の馬体は、まだまだ緩く、幼くて、完成するのは来年の秋だというから空恐ろしい。完成すれば、もっと爆発力を発揮できるという。古馬の大将キタサンブラックも、サトノダイヤモンドに負けず劣らず素晴らしい馬で、今年最後の大一番でデッドヒートを繰り広げた二頭は、いずれも神の領域に達する駿馬であろう。二頭とも決して派手な勝ち方はしないが、私にはそんなことはどうでもいい。シンザンや、シンボリルドルフがそうであったように、ゴール板で少し抜け出せばいいのだ。いわゆる剃刀の切れ味ではなく、鉈の切れ味である。勝ち方よりも、本当に強い馬の泰然自若とした、あの雰囲気に私は酔いしれ、競馬に心惹かれるようになった。何年かに一頭しか現れない優駿。まだ三歳のサトノダイヤモンドに、来年も期待したいし、見つめていたい。

 人間でも泰然自若を地でゆく人はいる。本物の王侯貴族、宗教家、茶人、噺家能楽師、指揮者、演奏家、画家、歌手、アスリート、俳優、そして競馬の騎手にも、そうしたオーラを放つ人がいる。忘れてはならぬのが、京都人。生粋の京都人は、世界で一番泰然自若としていると、私は信じている。いや、京都人どころか、京都という街、それは平安京全体から、そこはかとなく感じることができるのだ。私も、いつの日にか不動の心を持てる人間になれたらと、願わずにはいられない。茶の湯の稽古を始めたのも、泰然自若とした己を修得せんがためで、坐禅もまた然りである。

平成二十八年が終わる。皆様はどんな一年でしたか。私は本厄が終わり、いよいよ後厄。まさしく泰然自若として、乗り切っていきたいと思っている。良いお年を。