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弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

日本仏教見聞録 高尾山

平成二十八年大晦日。日本仏教本山を訪ねる旅を、この晩夏より始めた私とT君が、この年最後に訪れたのは高尾山である。私は高尾山に登るのは二度目である。いつもハイカーや、行楽客で混雑している人気の山だが、近頃は外国人登山客が急増している。この日も、大晦日にも関わらず、麓から多くの外国人がいた。実は今回、あえて大晦日を狙って高尾山に行ってみた。正月は、初日の出見物や、薬王院の初詣客で相当に混むのは必至。大晦日ならば、静かなのではと踏んでいたが、その思惑は見事に外れた。思いの外に混んでいる。まぁ、高尾山とはそういう山なのである。新宿から小一時間もあれば行ける身近な山。標高五百九十九メートルと高山ではないが、周囲にも高い山がないため、絶景を楽しめること。ケーブルカーやリフトでも登れること。そして何と言っても、晴れた日には富士山を拝めることが人気の要因のようだ。外国人ならずとも、高尾山は概ねこんな理由から、昔から関東地方の人には、お馴染みの山である。驚いたことに、高尾山の年間登山者数は二百六十万人超で、これは世界一らしい。世界一の登山者数を誇る山が、日本の首都東京にあるのも面白い。

麓で名物のとろろ蕎麦で腹ごしらえ。多摩地区は昔から蕎麦栽培が盛んである。深大寺あきる野も蕎麦が有名だが、高尾山もまた、地産の蕎麦と自然薯のとろろが実に美味しい。以前来た時は、麓から登山したが、今回は大晦日のこととて、慌ただしく出かけたので、私たちはケーブルカーを利用することにした。絶好のお天気だ。ケーブルカーも、山手線並みに混んでいて座れない。日本一の急勾配を登る高尾山ケーブルカーは、聞きしにまさるもので、立っていたからなおさら傾斜がキツく感じた。こんなところに、よくこんなモノを作ったものだと、つくづく感心する。人間の山への憧れは、昔も今も果てしない。紅葉はもう終わっていたが、冬枯れの山もなかなか美しい。この山は、もともと修験道の霊山として、太古より信仰されてきた山でもある。私はそういう部分を見てみたい。

高尾山薬王院有喜寺は、成田山、川崎大師と並び、真言宗智山派大本山とされる。だが寺の歴史は、智山派の歴史よりもはるかに古い。寺伝によれば、天平十六年(744)聖武天皇の勅命で、東国鎮護のため、行基によって開山されたとある。聖武天皇は、各地に国分寺国分尼寺を建立し、奈良の東大寺を総国分寺と定め、仏教の力を借りて国を統一することに成功する。高尾山からさほど遠くないところに、武蔵国分寺や相模国分寺があり、これらとほぼ同時代に薬王院が建立されたのをみると、この頃から、この山が霊山として信仰されていたことがわかる。天平時代、現世利益を尊ばれて、薬師信仰はピークに達する。この寺の本尊も薬師如来で、これが薬王院と称する由縁である。行基菩薩といえば、良弁とともに聖武天皇の手足となって、日本仏教の底上げを図った。行基は、修験道の祖である役小角と並び、津々浦々に伝説がある。ただ役小角よりも、もっと民衆の近くにいた。そして後に、この役小角行基の襷を受け継いだのが、空海ではなかったか。そう考えると、日本仏教のある路線に一つの系譜が見えてくる。役小角行基菩薩→空海。他にも白山修験道の祖である秦澄、帰化人で東大寺建立に尽力した良弁、南都仏教からの脱却のため比叡山へ篭った最澄も、ただ一人山中に分け入り修行したという点で、同じ系譜といえよう。いずれこのあたりから、仏教は日本古来の神々と融合していった。日本の八百万の神々は、様々な仏の化身という本地垂迹は、実は神は仏ではなく、この国に仏教が根ざすために、日本在来の神の力を借りねばならなかったという説を唱える人もいるが、それには私も同感である。 後に触れるが、神仏習合が今も生きている高尾山に来ると、日本仏教の興隆期を如実に垣間見ることができる。

浄心門から参道に入ると、杉の巨木が亭々と聳え、石仏やお堂が点在している。ここらあたりから、行楽の山とは別の、信仰の山としての霊気がひしひしと迫ってくる。少し歩くと、見上げれば右手の丘の上に、白亜の仏舎利塔が現れる。こうしたストゥーパは、戦前から戦後にかけて、各地に建立された。中には、経年劣化が著しいものを見かけることもある。それはもはや遺跡のような有様で、薄気味悪いことも間々ある。でも、高尾山の仏舎利塔は、大変よく手入れされており美々しい。塔の先端は、大晦日の空を切るように屹立している。この巡礼でも、度々お目にかかるこうした仏舎利塔だが、この先もまた見られるであろう。塔の前の広場には、天狗の像があって、結界が張り巡らされている。修験者以外の立ち入りを禁ずる立て札があるから、ここでは何らかの行が、行われるのだろう。高尾山中には、こういう場所がいくつか見られる。どんな行をするのか、とても興味がある。お寺によれば、日帰りとか宿泊しての体験修行があるらしいが、それは修験道のほんの一部を覗く程度にすぎないだろう。実際の山伏たちは、私たちには想像を絶する、過酷な行を間断なく行い、ひたすらに世の平安を祈念し、秘法呪法を会得しながら、自身の求める仏道を邁進する。千日回峰行も、葛城山大峰山も、出羽三山も、白山や富士山でも、本当の行は、真夜中に秘密裏に行われているはずだ。興味本位などでは、到底務まらない。山伏とは読んで字の如く、真に山にひれ伏し、神仏に身を委ねる者を云う。そうするうちにいつか、山の神と出逢い、秘法呪法を授かるのだろう。拙き私などの文章で、千数百年の修験道について、語ること自体が土台無理なのだが、私は修験者を尊敬しているし、彼らを生き仏であると信じている。

高尾山中では時々、どこからともなく山伏の吹く法螺貝の音が聴こえてくる。その音は、山から山へとこだまする。魂の叫びにも聴こえるし、吐の底からの笑い声にも聴こえるし、哀しき泣き声にも聴こえる。 仏舎利塔からさらに登ってゆくと、茶店の先に四天王を配した山門に出た。山門の真ん中には、巨大な天狗のお面が、物凄い形相でこちらを見ている。山門を潜ると、右手にはまた天狗と烏天狗。ここの天狗は楓の団扇を手にして、楽しそうに踊っているようにも見える。「ようこそ高尾山へ」と歓迎されているようで、こちらもうれしくなる。天狗は、恐ろしい形相なのに、どこか親しみを覚えるのは何故であろうか。ここは天狗のおわす高尾山。この山のシンボルは天狗である。京都の鞍馬山など、日本各地で、天狗は山の神と云われ畏怖されている。天狗は修験道の守護神なのだ。高尾山がこう賑やかだと、なかなか今の世に天狗は現れないだろう。が、閑散とした逢う魔が時や、真夜中に行者たちが秘密の行を修する時、あるいは現出するのかもわからない。ひょっとすると、昼間は例の天狗の隠れ蓑で姿を消して、大木のうえから、絶えず我らを見ているのかもしれない。この山を歩いていると、ふとそういう想像を掻き立てられるし、一人で歩いていれば、そんな気にもなってくるだろう。 ちょっと怖いが、恐る恐るも、遭遇してみたい。それが私の天狗に対する想いである。

そもそも日本人と天狗の関わりは深い。天狗は、日本固有の修験道仏教と結びつくが、また庶民にこそ親しまれてきた神でもある。それは、あの長い鼻がどこか可笑しいからでもある。でも、それは山の神の恐ろしさを緩和するために、敢えてそんな出で立ちになったのかもしれない。鼻高々で有頂天になることを、「天狗になる」というが、今、天狗から後指をさされているのは、私たち人間なのではあるまいか。古代より人々は、山海から食物を得て、生き存えてきたのだから、当然、山や海に生かされていることに感謝した。また、それに決して抗することはせず、貴賎を問わず崇拝したのである。草木国土悉皆成仏と云われるとおり、生きとし生けるものすべてに、魂が宿ると信じ、人もまたその中で生かされているとわかっていた。ことに、山容全体から霊気を醸し出す山は、神山として崇められた。日本各地にたいていは、その地域の人々に拝まれた山があり、山の神が祀られている。そして、里人たちは、豊作と安寧を祈る祭をして、神々への感謝と忠誠を誓った。或いはまた、怒りを静めるべく、ご機嫌をとったのである。そうした祭は、今に伝わって、私たちも同じことを体感体験している。現代人も山を眺めれば、自然に手を合わす人もいるし、形を変えながらも、山を仰ぎ拝むことを忘れてはいない。富士山が日本人の信仰の総本山とも云えようか。その富士山を遥拝できるのが高尾山である。もともと高尾山は、富士山の遥拝所であったのかもしれない。果てしない修験道のことを考えていると、ふとそういう考えまで浮かんでくる。

高尾山には神仏習合がわかりやすく残っている。 ここには薬王院いう寺と、鳥居のある飯綱権現堂が並存する。本堂から左手に、少し上がると、権現造の見事な社殿があり、一帯は多くの神々が祀られている。明治の廃仏棄釈まで、日本の多くの寺社では、こういった神社と寺が混在する風景がごく当たり前にあった。日本人は、神も仏も同じく敬い、大切にしてきたのだ。そうした寺は、神宮寺とか別当寺と呼ばれた。確かに明治維新は、日本史上最大の変革を成し遂げたが、そのぶん無くしたもの、傷つき痛んだものも、また多くあった。戊辰戦争で、偽りの下剋上を目の当たりにした輩や、戦に参加できなかった連中が、憂さ晴らしにやったとしか思えぬ暴挙。国家神道を推し進めたのは、政府ではなく、民衆であった。言い換えれば、国民はそういう風に巧妙に仕組まれたのである。それが廃仏棄釈ではなかったかと私は思う。

権現堂を過ぎて、弘法大師を祀る大師堂、不動明王を祀る奥の院を過ぎれば、山頂への最後のアプローチとなる。十分ほど歩けば山頂だ。 快晴の大晦日。高尾山頂は、言葉などいらぬ絶景。東には茫漠とした大東京をみはるかす。傾きかけた西日の彼方には霊峰富士。やはり今日ここへ来てよかったと、心から思える瞬間であった。すべてはこの瞬間のために、この一年を無事に生きてきたのではなかろうかとさえ思ったものだ。そう思わせる実に崇高な眺めであった。山頂は多くの人々で溢れていたが、皆一様に笑顔であるのが印象的であった。それぞれの人生の垢を、大晦日であるこの日に、ここですべて洗い流して、明日からの平成二十九年に向かう。冬の西日はあっという間に残照になりつつある。私たちはゆっくりと下山することにした。