弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

馬蝗絆と稲葉天目

東博茶の湯展が開かれている。展覧会は、日本の茶道を一通り網羅する大規模なもので、これほどの規模で開催されるのは、三十七年ぶりという。さっそく私も拝見してきたが、陳列の多さに圧倒され、いささか満腹気味。終わる頃には疲れ果ててしまった。こうした展覧会の趣旨には賛同するし、展示品はなかなか見れない逸品揃いだから、血眼になって廻ったが、あまりに大規模すぎる開催もどうかなと思う。ましてや茶の湯の展覧会。小出しに開催する方が、それらしい気がした。しかしまあ、東博だからこそ、これだけの展覧会が開けるわけで、ありがたいことではある。特に 私の目を惹いたものは、不審庵伝来の茶道具の数々、山上宗二記、利休作の茶杓 銘 ゆがみ、長次郎の黒楽 銘 俊寛、仁清の茶壷や香合は、やっぱり見てよかったと思う。書画で気になったのが藤田香雪蒐集の駿牛図である。鎌倉時代の作で、一見すると素朴な筆致で、牧童が牛の手綱を引く長閑かな場面だが、牛は力を漲らせ、目つきは鋭くも澄んだ賢さを湛えている。牛は神の使いとして、我が国でも大切にされ、こうした駿牛図もたくさん描かれてきた。農耕や運搬に牛を利用してきたことはいうまでもないが、貴人の乗り物は馬車ではなく牛車であったし、闘牛も古くから神事として行われてきた。天神信仰が生まれると、牛は天神の眷属として崇められた。そうした神韻縹渺たる雰囲気が、この駿牛図には漂っている。この一幅が茶室に掛けてあったらと思うと、果たしてどんな趣となるのであろうか。想像してみるだけでも楽しい。

足利義政が愛した青磁。銘 馬蝗絆 。私は青磁が大好きだが、これに敵う青磁の茶碗はまだ見たことがない。わずかに緑を含んだ透ける様な青磁色、柔らかでとろけるような風合い、そして何より気品に満ちた凛とした姿。欠と継もすっかり景色となっている。南宋時代の龍泉窯での作で、享保十七年(1727)、儒者・伊藤東涯が記した『馬蝗絆左甌記』によれば、平安末期、平重盛杭州・育王山の仏照禅師に黄金を寄付した際、その返礼として贈られたとされる。流れながれて、足利氏随一の数寄者義政の手に入った。義政はこの茶碗を殊のほか愛したが、ヒビが入ってしまったため、明へ送り、これと同じように作って欲しいと頼んだが、明からは、この茶碗と同じものは、もはや作ることはできないとの返事で、茶碗は送り返されてきた。送り返された茶碗のヒビは、鉄の鎹で継がれていた。「馬蝗」とは馬の背中にとまった蝗(いなご)のことで、中国では鎹の意味でも使われるため、馬蝗絆(ばこうはん)と銘々されて、東山御物とされた。義政以降は吉田宗臨、角倉家、三井家に渡り、今は東博に蔵されている。明から戻ってきた碗の痛々しい姿を咎めず、以後も愛で続けた義政という人物の懐の深さにも感動するが、明もこれほどの名品をすんなりと返してきたところが心憎いではないか。今の我が国と中国の指導者に、爪の垢を煎じて飲ませたい。昔の人は粋で偉いと思う。  

さながら北野大茶湯を彷彿とさせる展覧会において、ひときわ注目を集めていたのが、我が国の至宝中の至宝ともいえる国宝 稲葉曜変天目 である。私もこの一碗を拝みに行ったのだ。ついに本物を目の当たりにした衝撃と、澎湃として湧き上がる感動は筆舌に尽くしがたい。それほどただならぬ魔力が、ガラスケース越しでさえも放たれてきて、しばしその場を離れることができずにいた。この茶碗は、現存する三つの国宝の曜変天目茶碗の中で、最高のものとされる。曜変天目は、南宋時代に今の福建省建陽市にあった建窯で焼かれたと云われる。ごく僅かしか作られず、中国には完全な形では現存しない。日本の国宝三点と重文1点が、世界で唯一現存する完全な形の曜変なのである。中国では曜変は不吉であると忌み嫌われ、ほとんどが破棄されたが、それを逃れて日本に伝わったのが、今に残っていると云われている。稲葉天目は、廻りめぐって徳川家康の手に渡り、三代家光が病床の春日局に下賜した。そして、稲葉家へ伝わり家宝とされたのである。ゆえに稲葉天目と称されるようになった。その後、三菱財閥の手に渡ったが、現在は静嘉堂文庫に蔵されている。それにしても、いったいどうやってあのコバルトブルーの発色が成るのであろう。彗星と星屑の如き紋様が、あの様に編み出されるのだろう。神業か魔力か知らないが、どちらかといえば、強い魔力を感じるのは私だけではあるまい。茶碗は思いの外小さい。私の手の中にすっぽりと収まるだろうが、茶碗の中には果てしない銀河が広がっている。初めは偶然の産物だと思う。だがその偶然には、土、窯、温度、湿度、時間、そして陶工の技量、忍耐、想いまでの全てが、ある瞬間に一碗に纏まり凝縮された。その時、曜変が生まれたのだ。曜変は歴代の天下人に愛され、比類なき宝として珍重されると同時に、畏れられた。ブラックホールの様にすべてを吸い込みそうな曜変。その妖しい光に誰もが魅了され、身も心も虜となるであろう。昔も、今も、これからも。