弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

仙洞御所

天皇陛下が御退位される日が確実に近づいている。象徴天皇として何よりも国民のために、出来得る限りのお勤めを果たされてきた両陛下には、ただただ感謝のみで、早くゆっくりとお休みいただきたいが、やはり平成が終わるのはさみしい。本当は退位ではなくて、柔和に譲位と呼称して欲しい。が、今回は陛下が御自ら退くことを表明されたため、譲位ではなく、退位が相応しいとの偉い方々の判断らしい。何故、譲位ではいけないのか、甚だ不可解である。退位というと、何だか陛下の我儘とも受け取れやしないか。後の世の人々がどう考えるかまでをしっかりと考慮して欲しい。これは、明治以降前例の無いことであるし、間違いなく日本史に残る出来事である。思ったよりもスピーディーに事が運んだのは良かったとすれば、まあ退位か譲位かなどはどちらでも良いのかもしれないのだが。

陛下が上皇さまとなられると、皇居をお出になり、今の東宮御所へお入りになる。そして新天皇一家が、皇居に入られる予定とか。東宮御所は、両陛下が皇太子時代に三十年余りお住まいになった懐かしの我が家で、お子様方の想い出に溢れたところへお帰りになるのは、さぞやお喜びであろう。皇位を退かれた天皇つまり上皇は、正式には太上天皇という。そして上皇の住まいは仙洞御所と呼ばれる。仙洞とは、仙人の住む洞穴のことで、中国の故事に因む。皇位を退かれた天子は、隠棲して仙人の如く敬われ、日本と内裏を見守る存在と見做されたのであろう。今ならば、会社の社長や会長を退いた相談役といったところか。東宮とは皇太子のことで、他にも春宮と書いてとうぐうと読む。皇太子の御座所が、帝の御座所の東面に在ったことからそう呼ばれたに違いないが、東宮よりも春宮の方が、いかにも若く眉涼やかな皇子を彷彿とさせる。さすがに昔の日本人は風雅に長けていて感心する。今も皇太子御一家を担当する宮内庁の役職の長は、東宮大夫と呼ばれたり、陛下の身の回りのお世話をする役職は、内舎人と呼ばれたりと、宮中には由緒ある名前がまだ多く残っている。

最近、御退位された両陛下がお住まいになる場所について、議論が湧き上がっている。政府や宮内庁は、皇太子御一家との入れ替わりを検討しているが、ここへ来て京都市奈良市が、御退位後の両陛下のお住まいの誘致に動き出した。奈良市は新たな離宮を造営し、京都市京都御苑の仙洞御所に、新たな離宮や御座所を造営することを検討しているらしい。特に京都には古都という自認はなく、寧ろ、天皇一家や皇族は京都にお帰りいただきたいと、衷心より思っている節がある。昔からそんな話をよく聞いたし、明治維新の時、東京遷都の詔が出されたわけではなく、公式文書もないわけだから、生粋の京都人は、京都こそが今も都であるとの自認である。また、京都人にとって戦後とは、応仁の乱とか鳥羽伏見の戦いのことをいう、などという考えが根強いと云われているが、そんなことは半ば都市伝説かと思っていた。が、ここに至り、これは都市伝説ではなく、代々京都人に刷り込まれた本音と願いに他ならぬことが、今回の一件でよく解った。無論、京都人や京都市民、京都府民、或いは奈良市民が皆、同じ考えではないだろう。

予てから私は、日本の首都は東京だが、みやこは京都であると思っている。首都とみやこは別と考えている。平安朝で花開いた国風文化と、今に繋がる統治機構や、官僚機構の礎が築かれたのは京都であり、日本史上、いや世界史的にも稀に長い間みやこであった京都は、簡単に廃れはしない。寧ろ、首都などと革った呼称よりも、みやこと呼ぶほうが伝統に則して相応しい。さらには、京都市が主張するように、天皇の即位の大礼は、京都で行うということには、大いに賛同する。古色蒼然とした天子南面する紫宸殿において、内外に即位を宣言されたることこそ、天皇の歴史と権威を際立たせられよう。御即位は京都で、御退位や御大喪は東京で行うのが望ましい。もう一つイメージを逞しくすれば、御即位の大礼後、都大路を京都駅までパレードして、京都駅から新幹線で東京駅へ移動、東京駅から皇居までパレードすれば良い。

ただ、京都や奈良へ仙洞御所を設けることは、ほぼ不可能だと思うし、私は賛成はできない。最大の懸念は警備と経費の問題だ。東京の皇居や東宮御所のある赤坂御用地は、世界最高レベルの警備が、磐石に敷かれている。同レベルの警備を果たして他でできるのか。おそらく京都は可能であろう。京都御苑には迎賓館もあるし、度々要人を迎えてきた。しかし、東京で統括され、指揮系統を一元管理していたのを、二元化することになれば、後々、様々な弊害が生まれるであろう。考え過ぎかもしれぬが、有り得ぬ話でもない。であれば、実績ある東京で、スムーズにコンパクトに警備して、一世一代の御即位の大礼の時に、ふんだんに経費を使って、最高の警備をすれば良い。そしてまた、何よりも両陛下のお気持ちである。京都や奈良の人たちの気持ちも分かるが、おそらくは両陛下が頷かれまい。こんな騒動に巻き込んだら、ゆっくりお休みにはなれないと思う。かえっていらぬ御心配をおかけしてしまおう。大英断を下された陛下に対して、申し訳が立たない。日本国憲法で、天皇は日本国、日本国民統合の象徴とされる。三十年間、象徴としてのお勤めを真摯に果たされた両陛下に、我々国民は余生をいかに楽にお過ごしいただけるか、そのことのみを、そっと静かに、厳かに、美しく考えねばならないと私は思う。