弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

夏越の祓

梅雨只中。六月晦日を迎えた。今日は半年が終わる小晦日であり、夏越の祓が各地で行われる。夏越の祓は、上半期の穢れを落とし、下半期の無病息災を願う神事で、夏越の大祓とも呼ばれる。一部の神社では、茅の輪くぐりをして、夏越の祓に参加できる。茅の輪くぐりは、茅や笹で編んだ人がくぐれるほどの大きな輪を、定めし作法に則ってくぐる。茅の輪くぐりは地域により、作法にも差異があるが、概ね以下の如く行う。

まず、茅の輪の正面に立ち一礼。左脚から入って、左回りに廻るが、その際次の和歌を唱える。

水無月の夏越の祓えする人は千年のいのち延ぶといふなり

正面で一礼。今度は右脚から入って、右回り。その際は次の和歌を唱える。

思ふことみなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓へつるかな

正面で一礼。最後は左脚から入り、「蘇民将来」と繰り返し唱えながら左回りする。

私も、毎年この作法で茅の輪をくぐる。六月半ばになれば、方々の神社に茅の輪がお目見えするので、あればどこでもやっているが、夏越の祓の当日は、自宅近くの氏神さまへあらためてお詣りすることにしている。 余談であるが、左回りの水無月の〜歌は、拾遺集に詠み人知らずで収められている。特別優れた歌ではないが、縁起が良くて、語呂もこの神事に相応しく覚えやすい。一方、右回りの思ふこと〜の歌は、和泉式部の歌で後拾遺集に収められている。さすがに女流歌人当代一の和泉式部らしく、水無月の夏越の祓にかけて、悩ましげな心境をさらりと詠う。簡単に訳せば、 「私の悩みが尽きてしまえと、水無月の晦日に、麻の葉を細かく切ってお祓いをするわ」 、であろうか。 鬱雨の水無月にかけて、夏越の祓をすることで、天も我もすっきりと晴れないかという願かけにも思われるが、むしろこの歌を詠ずれば澄み渡る天空を彷彿とさせる。

蘇民将来という言葉には様々な説があり、全国各地に似たような神事、儀式があるが、京都八坂神社によれば、スサノオミコト(八坂神社祭神)が南海への旅の途上、一夜の宿を蘇民将来という男に請うた。蘇民将来は貧しいながらも喜んでスサノオを迎え、粟で作った食事で厚くもてなした。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノオは、疫病流行の際、「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されたと云う。夏越の祓で唱える蘇民将来も、ここから伝わったものである。八坂神社でも、 今日は夏越の祓が盛大に行われ、大きな茅の輪をくぐることができる。

それにしても夏越の祓は、千年以上も前の和泉式部の時代にはすでに慣習化されていたのだから、日本人ならば誰でもきっと違和感なく体感できるはずである。 夏越の祓当日には、水無月という和菓子を食べるのも昔からの慣わしである。私にとっても水無月をいただくのが毎年この時節の楽しみである。水無月は、氷に見立てた三角に切った白いういろうに、悪霊邪気を祓うとされる小豆を乗せたお菓子で、見た目にも涼やかで美しい。六月になると方々の和菓子屋で売られている。美味いのでついつい買ってしまい、たくさんいただいてしまう。中で、私の一番のお気に入りは、京都の老舗菓子司「俵屋吉富」の水無月だ。大粒で上質の小豆、程よい甘さと口あたり、ほんのり濡れたような涼やかな佇まい。すべてが完璧で、天下無双の水無月である。 日本人は、大晦日や正月の初詣は当たり前になっているが、夏越の祓の風習は、現代人にはイマイチ浸透してはいない。というよりも、廃れつつあるというほうが正しい。夏越の祓は祝日でもなく、慌ただしく生きている現代人には、無用なのかもしれないが、私はこの日を暮れの大晦日同様に大切にしたいと思っている。今日も、水無月や夏越ごはんをいただき、茅の輪くぐりをする。これから、日本列島は夏本番を迎える。年々、猛暑、酷暑が増すばかりでうんざりする。夏が苦手で、大嫌いな私にとっては、無事に夏を乗り切るために、夏越の祓は極めて重要な儀式でなのである。

水無月の夏越の祓する人は千年のいのち延ぶといふなり