弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

秋が来る前に

旧暦ではもう秋でも、当世暑さの真っ盛り。日本の八月は鎮魂総供養の夏。お盆がきて先祖を偲び、迎え、送るという習わしは、古くから日本の夏の風景である。八月には、五山の送り火をはじめ、霊魂を慰める祭が方々で行われる。そして、八月は広島と長崎の原爆の日がきて、今日は終戦記念日。もう七十二年が経った。それにしても、長崎に原爆が投下されてから、八月十五日まで六日間もあることに、改めて驚嘆させられる。その間にも本土が方々で焼かれ、満州樺太、南方の痛ましき戦地では犠牲者が増え続けたのである。六日は長すぎる。広島からはさらに三日間もあるのだ。キリなどないが、ポツダム宣言受諾後も、満蒙開拓団の集団自決をはじめ、至る所で戦争は終結しておらず、逃げ惑い祖国の地を踏めず命果つる同胞が、知られているだけでも夥しくいた。何とも愚かとしか言い様がない。

愚かなことは今も続いていたりする。先月、国連では核兵器禁止条約が賛成多数で可決した。今後ひとまず五十ヶ国が批准する。しかし、核保有国や、日本や韓国など核の傘に守られている国は、条約に反対、不参加、棄権した。国連もここまでなのかと痛感したのは今さらだが、日本が参加しないことに、私は憤りを覚える。これまで散々、唯一の戦争被爆国などど声高に叫んできたのは、何だったのか。もっとも、おとなしい日本政府はあまり積極的に主張はしなかった。昭和の大戦に敗れた対米従属の国には、致し方ないことでもある。でもそれは、七十二年を経ても遅々として変わらず、むしろさらに何もできず、言えなくなりつつある。そして沖縄の問題。有ってはならぬモノなのに、無くてはならないモノであるから、沖縄は永久に出口無き戦後を彷徨い続けている。叫び続けるのは、戦争を体験した人や賛同する一部の人々ばかり。その声は皆まで届いてはいない。 もしくは聴こえないフリをしていたり、どうしようもないところが本音かもしれない。しかしどうしたって、今回の核兵器禁止条約ばかりは、どの国よりも、いかなる理由や妨げがあろうとも、日本こそが真っ先に参加し批准すべきであった。米朝が緊迫するなか、先の大戦後、かつてないほどの危機、脅威が目前に迫りくるのを、見て見ぬふりはもうできない。ゆえに武力で威嚇せねばならぬこともまたよくわかる。しかし、それでいいのだろうか。後にはきっと後悔と虚しさのみしか残らぬであろう。私はこれまでも、八月がくれば日本人は先の大戦のことを思い出さなくてはいけないと思ってきた。事実また、多くの日本人が戦争の恐ろしさを追憶し、戦没者を慰霊している。まだ今ならば、間に合うはずだ。春の桜から夏至を過ぎて盛夏となり、いよいよ浮かれて弛緩する日本には、考えるべき八月がある。暑いのは苦手な私だが、八月は何故か好きだ。高校野球を観戦しながら、ホッと一息をつき、立ち止まって、現在過去未来をじっくりと見据え、計り、描く。それが私の八月であり、日本人の八月だと思っている。