弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

松上げ


八月末、私の長年の宿願がひとつ叶った。それは、京都の北の山奥で行なわれる松上げという火祭を観ることであった。松上げのことを知ったのは二十年近くも前、白洲正子の随筆かくれ里の「山国の火祭」という文章を読んだからだ。以来、神秘に満ち溢れた火祭の情景は、白洲さんの臨場感溢れる文章によって、私の脳裏に焼き付いて離れなかった。が、ついにこの晩夏、その火祭を目の当たりにすることができたのである。

日本は火祭が多い国だ。年中何処かで行われている。山川草木八百万、どんなものにも神が宿ると信じてきた日本人らしく、火もまた神聖視してきた。人が火を手に入れてからは、暮らしに欠かすことができなくなった。今は、ガスやライターで難なく火を使えるが、はじめは火を起こし、燻るまでにも労力と知恵を要した。苦労の果てに火が起これば嬉々として、そこに神の力を見たであろう。同時に火は、ひとたび大きくなれば、人の力の及ばぬ破壊力があり、下手をすればすべてを失う。それに対する畏怖があったから、火伏せの神も祀り、火伏祭も盛んに行われた。また、火を焚いて昇天する煙には、死者の霊魂が宿ると信じた。神仏混淆の日本人は、火を神として敬いながら、いつしか仏教とも結びつき、やがて盆の送り火が生まれたのである。送り火は各地で行なわれるが、俗に大文字焼きと呼ばれ、今では京都の夏の風物詩として、世界中に知られている五山の送り火は、日本の送り火の総代のように思う。各地の火祭は、神仏が交わることで、規模が拡大され、東大寺のお水取りや、吉田の火祭、鞍馬の火祭のように盛大な祭に発展した。火は日にも通ずる。農耕に不可欠な日と水と火。日本人は三位一体として大切にお祀りしたのである。

最近、松上げは有名になったらしい。松上げ鑑賞バスなるモノが京都市内から出ている。私も今回はそのバスを利用した。夕方六時、出町柳駅からバスは一路北へ向かう。比叡山もまだはっきりとてっぺんまで見えているほど、良い天気だ。雨天中止と聞いていたので、晴れて良かったと一安心する。バスは鞍馬越えで花背へ向かうが、鞍馬寺を過ぎると、道は狭く険しくなる。怖い怖いヘアピンカーブの連続を、一時間近くかけて行くのだが、さすがに運転手さんは慣れていて、苦も無く峠まで登ってゆく。途中所々、崖にへばりつくような集落があった。道のキワに家があり、反対側は崖で、崖下は滝つ瀬というようなところだ。車内にも轟々たる水音が聴こえてくる。よくこんな所に家を建てたものだと感心した。家々の軒先には、地蔵盆のお供え物や提灯が出ている。地蔵盆地蔵菩薩の縁日で、本来は毎月二十四日だが、御盆に近い旧暦の七月二十四日は、盂蘭盆会と兼ねて行うようになった。お地蔵さんは、日本全国くまなく信仰されているが、地蔵盆近畿地方と信州や九州の一部以外ではあまり知られていない。近畿地方では、盆の行事として色濃く残っている。松上げも地蔵盆と同じ頃行われるが、もともとは地域の豊作を祈る祭が、いつしか地蔵盆と融合したのではないだろうか。

京都は広い。平安京は、京都盆地の中にすっぽりと収まっているが、市域は拡大して、大まかに見ても、東は山科、南は伏見、西は大原野、北は花背まで。その地域も、今は京都市となっているが、かつては洛外のさらに外側にある僻地で、貴人にとっては隠棲の地であった。松上げの行われる花背のあたりも例外ではなく、古い寺社が点在し、秘された歴史がまだまだ埋まっているようなところだ。松上げは、この辺りに伝承されている祭で、私が訪ねたのは花背峠を越えてから、さらにバスで二十分ばかり降ったところにある広河原という集落である。現在、松上げは広河原、花背、雲ヶ畑に残るが、かつてはこの辺りの村ごとに行われていたとか。白洲さんが観たのも、広河原より少しばかり花背峠寄りの原地という集落の松上げだったが、今では原地の松上げは廃れてしまった。白洲さんは原地を観て、その足で広河原にも廻っているので、一晩に二度松上げを観たらしい。かくれ里で白洲さんは、この辺りの風景を、絵に描いたような美しい村が現れたと書いているが、白洲さんが訪ねてから四十年たった今も、昔話さながらの雰囲気は失われていない。今回、私はすっかりと宵闇になってから行ったので、あたりの景色ははっきりしなかったが、点在する古民家や田畑、そして清らかな瀬音が、微かに闇の中に浮かび上がって見えつ聴こえつしていた。夜空には、東京ではぜったいに見ることの叶わない夏の星座が、手に取るように瞬き始めている。なるほど今度は昼間に来て、絵に描いたような村を眺めながら歩きたいと強く思った。

松上げの会場までの道には、地元の人によってささやかな夜店が出ていて、京野菜なんかを売っている。その先に川が流れていて、橋の手前が我ら野次馬の席。すでに三百人ほどが押しかけていて、今か今かと、火祭が始まるのを固唾を呑んで待っている。川を挟んで向こう側の原っぱが、松上げが行われる聖地である。聖域には結界が張られていて、野次馬はおろか村人でさえ、松上げに参加する男たちしか入ることは許されない。中心には、地上二十メートル近くもある、燈籠木(トロギ或いはトロゲ)と呼ばれる巨大な松明が立てられている。広河原では松上げのことを正式には、トロゲと呼ぶ。燈籠木は松明というよりも、暗がりに見れば大木のようである。燈籠木のてっぺんには、薪をつめた籠が取り付けてある。松上げは、その燈籠木のてっぺんめがけて、地元の男たちが、銘々手作りした火種を投げ入れるのだ。選ばれし男たちを、私は松上げ男子と呼ぶことにする。十九歳になると、松上げに参加できるらしい。松上げ男子になれば、晴れて大人の男として認められるのだろう。火種は放上松(ほりあげまつ)といって、油の多い燃えやすい松の芯を束ねて、藁紐がくくりつけてある。その藁紐を握り、てっぺんめがけて放り投げ、一番点火を競うのである。

一時間ほど待ったであろうか。太鼓と鉦の音が鳴り出し、燈籠木の周囲に立てられた、松明一本一本に点火してゆく。元火は、地域の尾花町の山林に祀られている愛宕大明神の祠から授かる。松明は聖域に千本以上も立てられていて、松上げ男子がものすごい早さで点火するのだが、白洲さんはその様を、まるで火天か韋駄天のようだと記している。 あっという間に、聖域一面が火の海になった。遠く向こうは段々になっていて、その起伏が火の波の如くこちらへ押し寄せてくる。これだけでも一見の価値あり。幻想的な火の海を眺めていると、本当にこれが夢なのか、現なのか境目がなくなってゆくのであった。 やがて、太鼓と鉦の音が早くなると、いよいよ松上げが始まった。男たちは、燈籠木のてっぺんに向けて、「こりゃ、こりゃ、こりゃあ」とか、「こりゃじゃ、こりゃじゃ、こりゃじゃ」などと、独特の声を発しながら、我先にと火種を放り投げる。 野次馬もまた一緒になって歓声をあげる。入りそうで入らない火種が、虚しく地上に落ちる度に、嗚呼と悲鳴をあげたり、もっとこっちだよとか、そっちじゃ入らんよとか、惜しいとか、いちいち叫ぶ。松上げ男子よりも、野次馬の方が熱くなるのが可笑しかった。確かに、聖地とこちら側には結界があるが、松上げに挑む心には、聖域の内外に垣根はなかった。

やがてついに、火種のひとつがてっぺんに乗っかると、甲子園球児がホームランを打ったかのような大歓声が起こって、その神々しい炎を全員が祈るように見つめる。まさしく今、聖火台に聖なる炎が灯ったのである。その後も、松上げ男子が投げた火種がふたつ、みっつと入ると、燻っていた炎は、籠の中の薪に引火し、昇龍の口から吐き出る炎のようになった。その場にいる誰もが、紅蓮の炎に見惚れている。神の降臨か仏の来迎というものも、このような光景なのではないかと思った。それも束の間、太鼓と鉦がひときわ高らかに鳴ると、松上げ男子は燈籠木の下に集まり、支柱を外したかと思うと、一気に地面に引き倒した。その瞬間、物凄い音と、巨大な火炎が一帯を包み、大歓声のあとには、しばしの静寂があって、自然と拍手が沸き起こった。あたりには、煙が充満し、田畑をかすめながら、山、川、そして天へと昇ってゆく。ここで、私は合点した。松上げとは、森林田畑の害虫駆除を兼ねているのだ。あれだけの松明の熱と煙は、あの一晩で、広河原地区の上から下までくまなく廻ったであろう。これから、実りの秋を迎えるにあたって、もっとも原始的だが、もっとも効果的な害虫駆除になるに違いない。神を奉り、感謝するとともに、豊作を願い、災害からの守護を祈念した。その想いが真面目にこの火祭には込められている。一見してそれはとくとわかったつもりだが、古代から続く偉大なる火祭を、たった一度観たとて、すべてを語ることは、野次馬の私には到底できない。第一、この祭を大切に守り伝える松上げ男子や、地元の人々に失礼だと思う。であるから、これ以上は語るのは止そう。でも、間違いなく私は、この夏の夜、ついに松上げを観た。いたく、えらく、物凄く感動した。宿願を果たせてうれしかったのである。

松上げが無事に終わると男たちは、古老の発声に合わせ、「シャンノ、シャンノ、オシャシャンノシャン」「ユオオテ、オシャシャンノシャン」という不可思議な文句を唱える。そして伊勢節を唄いながら、聖地から地域の観音堂へと列を成して、引き揚げる。そして、村人皆で、夜更けまで盆踊りに興じるのだとか。松上げ男子は本当に凛々しく、格好良かった。日本には、まだこんな祭があるのだ。探せばあるのである。こんな面白い火祭を、古代のいったい誰が思いついたのだろう。現代の我々の創造力はすばらしいが、古代の人々の想像力もまた凄いのである。松上げを観て、あらためてそれを痛感した。白洲さんは、松上げを観て、「東京へ帰ってからも、あの夢のような風景が、今もって現実のものとは信じられない。まだあの夜の酔いからさめないのであろうか。それとも狐に化かされたのか。」と書いている。人に騙されるより、狐に化かされたい私も、この夏の夜に見た夢を、生涯忘れぬであろう。