弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

至高の行方

羽生結弦君が五輪連覇を果たした。私はこれまでにも何度か書いてきたが、スポーツ観戦ほど心を震わせ、誠の感動を貰える出来事はない。世の中何でも斜から眺めている捻くれ者には、スポーツ観戦は唯一真っ直ぐに目を逸らさずに、無心になれる事である。今冬季五輪でも平野歩夢君の二大会連続銀メダルをはじめ、選手の活躍に躍起となっている。私は時に、禅寺にて参禅させていただくこともあるが、仏教への関心から様々に私考を巡らしたり、己の未熟さから邪念の塊となってしまうのが常である。私など無碍の境地には生涯到達できぬであろう。一方、仏像、書画、茶道具などの美術品を観て歩くことも好きで、それこそ血眼で観ている時もある。物を見るのにあまりに力み過ぎている感があって、かえって雑念が働いてしまい、見たままの印象は薄れてゆき、趣味鑑賞の枠を超えない。これでは本物を見極める事などできないだろう。実にこうしたことを文章にしていること自体が私の程度とも言える。しかし、頭で観ずして心で見る事は、凡人には簡単ではなく、よほどの修練が必要である。余談が長くなったが、つまりは私には余念が多すぎるのだ。だから何でも片手間になってしまう。スポーツ観戦はそうした余念を湧かさずに、無心になれる。故に感動して、涙腺が緩むのだろう。

 羽生結弦君は、昨年十一月のNHK杯の練習中に右脚を負傷、オリンピックシーズンに痛恨の戦線離脱となってしまう。これほどの試練があろうか。ナショナルトレジャーたる彼のことを日本中が心配した。何よりも本人の心中は如何許りであったか。おそらく、心身ともに想像絶する苦しみであったに違いない。あの様な試練を乗り越えることは、常人には不可能かもしれない。四年に一度の最高峰、オリンピックの目前である。彼は他の追随を許さぬ大本命の金メダル候補である。下手をすれば精神を病み、再起不能に陥るかもしれない。だが、彼は乗り越えてみせたのである。逆境を撥ね付けて、一昨日のショートプログラムをノーミスで滑走。その直後、彼はこう言い放つ。

「僕はオリンピックを知っている。」

この言葉を聞いて、私は勝つだろうと思った。それは試合に勝つだけではなく、彼自身が言う様に、羽生結弦羽生結弦を超克してみせたのである。あの言葉は決して自信過剰から出たたのでもなく、ハッタリの強気でもない。彼が言いたかったのは、「何が起こるか解らない」、それがオリンピックであるということではないかと、彼のフリーを見て改めて感じ入ったのである。

彼には天賦の才能があり、努力を惜しまず、不屈の精神の持ち主でもある。度胸も満点、根性も備わっている。と同時に理論家でもあり、彼ほど石橋を慎重に叩いてゆくアスリートも珍しい。それは決して臆病なことではない。事実翌日の会見では、右脚のケガは完治などしておらず、痛み止めを打ってなんとか誤魔化しながら滑っていたという。だが、あのケガがなければ、金メダルは取れなかったとも語る。それがどういうことなのかは、彼のみが知っていることであり、外野が詮索することでもないだろう。一つひとつ、一歩ずつの積み重ねが、今の羽生結弦を創り上げていった。彼自身がセルフプロデュースして。天才が弛まぬ努力をしているのだから、誰も彼より先へは行けないのである。少なくとも現時点では…。

羽生結弦君は千両役者でもある。それも彼が判ってやっていることだろう。己の見せ方と、魅せ方を実に巧くやってみせる。フリーの滑走後、喜びを爆発させ、右脚とリンクに感謝の手当てをする。彼と同時代に居るということを誇りとしたい。彼のこの先はあるのか。この至高の先はあるのだろうか。あるならば見たい。が、ここでサッと引退するというのも羽生結弦らしい気もする。でも、やっぱりこの先が見たいのが、私だけではなく多くの人々の本音であろう。