弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

桜花ふたつ

五年前に母の愛犬が死んだ。九年生きたチワワが盛夏に、その秋には十三年生きた柴犬が相次いで逝ってしまった。母はすっかり落ち込んでしまったが、二歳の孫娘と、チワワが死んですぐに生まれた二人目の孫の世話や心配に明け暮れる日々が続き、悲しんでばかりもいられぬ状況でもあった。孫たちが愛犬の死の悲しみを癒してくれたことも事実である。しかし、孫たちが成長し、手がかからなくなってきた最近は、再び長年可愛がっていた愛犬の事が頻りに思い出されるようである。時を経て癒されかけていた悲しみが、時折込み上げてくるのは、母が年老いた所為もある。さらに昨年、祖母も亡くなって、余計に寂寥感が漂い、何かにつけて愛犬の事も追憶してしまうのだ。孫が生まれてからは、「ろくに犬たちの世話をしてあげられなかった。」と言い、「あの時ああしておけばよかった、そうすれば死なずにすんだのかもしれない。」と思うこともあるようで、私は母からそういう話を聞くたびに、「あの子達はあんたには感謝しているはずだよ。ごはんをくれて、いつも傍で可愛がってくれたことをよく覚えているはずだから。」と慰めた。それでも母の気持ちは晴れずに靄っている様であった。母は愛犬二匹を懇ろに弔い、庭の日当たりのよい場所に墓を作った。カトリック教徒である母は、墓に十字架を立て、朝晩祈りを捧げている。昨年亡くなった祖母や、数年前に亡くなった祖父や母の兄に対する、祈りとまったく同じように祈るのである。やはり何年も可愛がっていた小鳥や、二十年以上前に私が飼っていた犬に対しても、同じように祈っている。思えば、母は私の身近でもっとも祈りの人である。決して敬虔なクリスチャンというわけではないが、もう三十年以上、どんなに体調が思わしくなくとも、朝晩の祈りを欠かさない。

愛犬の死の冬、母は彼らの墓に桜を苗を植えた。八重桜である。細い幹の桜の木は、成長も遅く、母の背を越すのに三年かかったが、この一年で急激に成長し始めた。今や背丈は二メートルほどになったと云う。桜の植木から、いよいよ桜の木になり始めたのである。しかし花はいつのことやら、この二月頃に電話で聞いても、「まだまだ咲かなそうだよ。」と言っていた。が、突如一本の枝の一部が鮮やかに赤くなり、蕾が現れたのである。四月に入ってからのことで、八重桜は大島桜やソメイヨシノよりも少し遅れて咲くが、母は今か今かと待ち焦がれていたので、まさに覚めても胸のさわぐなりけりといった心境ではなかったか。

この三月末から日本列島は相当に暖かい日が続いた。桜前線はあっという間に北上してゆく。東京のソメイヨシノも開花発表から三日で満開、花冷えもなく、一週間と持たずに散っていった。こんな年も珍しいが、パッと咲いて、サッと散りゆく花を名残惜しむ心地はやはり名状し難いものがある。一方で近頃の私は、桜の便りを聴くと、少し陰鬱な気分になる。花粉症のピークと重なることや、嫌いな暑い夏がやってくると思うと、うんざりするからだ。業平や西行のように一途に純粋な気持ちであれば良いのだが。

果たしてこの春、母手植えの八重桜はついに花を咲かせた。それもたった二輪だけ。その二輪がまことに健気に見えて美しい。まるで、五年前に逝った愛犬が二匹で寄り添うが如く、たった二輪だけ咲いたのだ。これには、母も私も深く感じ入ってしまった。私には霊能力など微塵もないが、実は今年なんとなく花が咲く予感がしていた。それは昨年、母の母である祖母が亡くなったからだ。亡くなった祖母が咲かせてくれそうな気がする。母にもそう言っていた。花が咲いてそれは確信になった。このところ体調不良が続いて、老いと向き合いながら生きている母への、祖母からの励ましに思えてならないのだ。きっと祖母が咲かせてくれたに違いない。

日本人は山川草木に神が宿ると信じ、花にも心があるとして生きてきた。白洲正子さんは、夕顔と云う随筆で、夕顔の蕾が花開く瞬間を観ようと、夕方からずっと観ていたが、ついに花は開かずに蕾のまま首ごと萎れてしまったと書いておられる。三日間試したが結果はすべて同じであったらしい。花は分かっているのだ。夕顔は淑やかな花なのだろう。故に人に見つめられていると、花は開かないのだ。桜にも心がある。今年咲いてくれたのも、祖母と二匹の愛犬が、桜に成り代わって母に逢いに来たのだと私は信じている。来年はもう少し数を増やして咲くであろうか。花の命もまた短い。今朝、二輪の八重桜は散ったと云う。