弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

青春譜〜吹奏楽の魅力〜

私は中学、高校と吹奏楽部に所属した。私にとっての吹奏楽は、人生でもっとも多感な時を、寄り添うように共に歩いてくれた影のような存在である。思春期、私は己が境遇を逆恨みしかけそうになった。だがそうさせじと、守り育ててくれたのが吹奏楽であった。本当にこう言って過言ではないのである。ありきりたりの言葉しか思い浮かばないが、私は吹奏楽に青春を捧げたのである。

予々書いてきたが、私は物心ついた時分からクラシック音楽に惹かれた。ピアノを習ったり、カラヤンに憧れて、ベルリンフィルのレコードを買って聴き惚れていた。クラシック音楽は誰の影響でもなく、自ら好きになった。南九州の田舎育ちで、当時は近くにオーケストラはなく、生で音楽を聴く機会は滅多になかったが、無心でレコードやCDを聴いたものである。管弦楽をライブで聴くのはずっと後のことであるが、吹奏楽との出逢いは早い。小学一年くらいの頃だと思うが、十歳以上年長の従兄弟が、高校の吹奏楽部でクラリネットを吹いており、アンサンブルコンテストを見に行ったのをかすかに覚えている。が、従兄弟が演奏する光景のみ覚えていて、音楽はまったく覚えていない。同じ頃、今度は陸上自衛隊の駐屯地の祭に行った時、音楽隊のパレードや演奏を聴いた記憶があるが、当時は音楽隊よりも、間近で見た戦車の方に関心があった。音楽隊の方はなんとなく覚えているだけである。余談だが、自衛隊の音楽隊は大人になってからは親しく聴いている。競馬場でダービーや天皇賞の時にファンファーレを演奏したり、昼休みにはコンサートを行うからで、何度聴いたかわからない。競馬場にいる競馬ファンは、予想に熱中しており、音楽隊の演奏にはほとんど無関心だが、私はいつも楽しみに聴いている。小学五年頃、近くの中学の吹奏楽部が小学校の体育館で演奏会を開いた。さすがにこれははっきりと覚えていて、忘れることができない。普段、レコードやテレビで聴いたり観たりしていた金管楽器木管楽器が、目の前でキラキラと輝いている。楽器を見ているだけで、私の胸は高鳴った。そして、指揮者がタクトを振ると、楽器たちは物凄い音で私に迫ってきた。全身浴びるが如く。音楽を聴くとはこうしたことなのか。たかが中学校の演奏でも、当時の私にすれば心震わせる出来事だったのである。およそこれが音楽初体験で、少年の私は感動し、興奮した。その日以来、すっかり管楽器と吹奏楽に魅了されてしまった。

中学では迷わずに吹奏楽部に入部した。ブラスバンドとかブラバンと呼ばれて、カッコイイとも思っていた。中学では始めに先輩からパートを選んでと言われた。私はクラリネットかサックスを希望したが、男子はできれば金管やパーカッションをやって欲しいと言われた。パーカッションも魅力的であったが、どうせなら金管でメロディを奏でたいと思っていたので、トランペットを希望した。今では木管金管で男女の隔たりなどありはしないが、当時は田舎のこととて、木管は女子、金管は男子という暗黙があったように思う。それは肺活量も考慮してのことだったのかもしれない。かくして私の吹奏楽は、トランペットから始まったのである。しかし・・・。このあといろいろあるのだが、その事は次回に。

最近しきりに昔の事が思い出される。若い頃好きだった音楽を聴いて、追憶に耽ることも増えてきた。私も歳をとったものである。そこでふと考え始めたのが、私の青春とは何ぞやということだ。歴史や文学を私なりにやってきたが、それは私の人生そのものと思っていて、青春とは少し違う気がする。今、茶道にのめり込む日々を送っているが、それは四十を過ぎて始めたことで、若い頃に始めたら良かったと少しの後悔もある。私には青春などあったのだろうかと思ったりもしたが、よくよく振り返ってみれば、それはやっぱり吹奏楽であったと思う。いや吹奏楽しかないではないか。これからしばらく月に一度、青春譜と題して、私の経験した吹奏楽と想い出を、吹奏楽への想いを、吹奏楽の魅力を、多角的に存分に綴ってみたいと思っている。