弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

よかにせ

私は旧島津領の生まれである。ゆえに話す言葉は、ほぼ薩摩弁であった。ほぼ薩摩弁としたのは、鹿児島城下と他の地域では微妙に違いがあるからで、鹿児島城下が薩摩弁の標準語であれば、他の地域はその地域毎の薩摩弁であったからだ。イントネーションは島津領全域で大体似ていたと思う。幼い頃は祖父からよく西郷隆盛の話を聞いた。祖父は西郷を「南洲先生」と呼んで敬愛していた。また時には親しみを込めて「せごどん」とか、「さいごうどん」と呼んだ。西郷の話をする時の祖父は実に楽しそうであった。会ったこともないのに、まるで自分自身が西郷の傍に仕え、さも見てきたように西郷の偉大さを誇らしげに語るのだった。下級藩士から陸軍大将まで上がった西郷隆盛は、鹿児島のみならず南九州最高の人であることを、小学生の私に祖父は滔々と話して聞かせた。しかし、祖父が本当に好んだ西郷像とは、島津斉彬の密命に暗躍したり、戊辰の役での参謀とか、新政府においての参議とか陸軍大将としての西郷ではなくて、地元にいるときのおはしょりに兵児帯姿で、犬を連れて歩く、気儘の西郷であった。祖父の西郷への敬愛ぶりは、西南の役の話に及ぶと落涙するほどであった。暗澹たる気持ちになり、まことに寂しげに西郷の悲運を嘆いた。西郷隆盛は維新の立役者の一人として表舞台に立っても、他の連中とは明らかに違っていた。引くことを弁え、負けることの意味を誰よりも知っている男であった。祖父の影響で私の描く西郷隆盛像は、国家の英雄とか、維新の元勲ではなく、薩摩の一民政家であり、民の味方であった優男である。西郷隆盛は「よかにせ」であった。こういう大きくて包容力のある男を薩摩では「よかにせ」と呼ぶ。近頃は器量の良いいわゆるイケメンを指して「よかにせ」と呼んだりするが、本来は西郷のような豪快で、情に脆く、心優しい薩摩男子を「よかにせ」と言った。

私は日本史が好きで、少しばかり学んでみてはいる。幼い頃から歴史に関心があったのだが、本当にのめり込んでゆくのは、祖父から聞いた西郷隆盛大久保利通ら維新の志士たちの話がきっかけである。日本史への入り口は幕末なのであった。今でもやっぱり幕末が一番面白い。時空を遡ってどこかの時代にゆけるならば、私は迷わずに幕末維新へとゆくだろう。幕末維新ほど目紛しく事が展開する時代はなく、あれほどダイナミックに日本が大転換した時代はない。故にこの時代は、日本史上もっとも多くの偉人が次々と現れている。彼らは皆それぞれにドラマを創った。ドラマは単なる筋立てではなく、それを本気で実行しようとした。私は歴史上の人物であんまり偉大すぎる人とか、世間一般に認知されている人物、またヒーローに祀り上げられている人物には関心がもてない。どちらかと云えばヒール役とか、影武者とか、隠然たる力で世を操るような老獪な人物に惹かれる。幕末においてもそうであったが、ここのところ少しずつ考えが変わってきている。やっぱりあのご両人の凄さというものに、今ようやくというか、改めて気づかされている。坂本龍馬西郷隆盛である。幕末維新のヒーローはそれぞれいるだろうが、ヒーロー投票があれば坂本龍馬西郷隆盛のご両人が他を圧倒するだろう。司馬遼太郎さんの影響が多分にあるに違いない。ご両人は現代人に格別人気があって、事実眩しい。

土佐では豪快で気骨のある男を「いごっそう」と呼び、薩摩では「よかにせ」と呼ぶ。「いごっそう」と「よかにせ」は微妙に違う部分があるが、共通点も多いように思う。坂本龍馬はいごっそうで、西郷隆盛はよかにせであった。ご両人が現代人に眩しいヒーローであるのは、未来を見据えた行動力と、根っからの正直者であったからだろう。即ちご両人は真面目に時代と向き合ったのだ。人間が単に真面目であるというわけではなく、時勢を読み、五十年、百年先の日本を真面目に想像して、思考し行動したということである。西郷隆盛西南の役で自ら人柱の如く立ったのは、決起の士族たちや、新政府の大久保利通らに範を示したのみではなく、その後の日本が直面する対外戦争を見越して、争うことの愚かさということを、新時代を生きる日本人に見せようとしたのではなかったか。戊辰の役での無情な殺戮を、目の前でつぶさに見てきた西郷には、ずっと忸怩たる想いが胸中を支配していた。その想いに押し潰されそうに生きることは、辛かったであろう。西郷亡き後、躍進を遂げた明治日本は、日清戦争日露戦争で奇しくも辛勝した。そのあたりから日本の勘違いが始まる。そうして勘違いしたまんま泥沼の昭和戦争に突入する。その呪縛は昭和二十年まで続いた。

戦後日本は経済大国となり、別の道で大躍進を遂げた。が、今はどうか。世情は何とも世知辛い。一見華やかで豊かになったようだが、中身はまことに空虚であり、潤いのない、まさに浮き世が展開している。世界中で戦争はくり返され、子供達が泣いている。日本国内は貧富の格差が広がり続け、ある部分ではバブル以上に、右向け右の個性のない人種が蔓延り、少しでも異質であるとされた者を村八分にして陰湿にいじめる。親が子を虐待し、子が親を殺す。必要としているところに金は廻らず、どうでもよい無駄なところに湯水の如く金が流れてゆく。二十一世紀を生きる日本人を西郷はどう見ているだろう。龍馬や大久保はどう見ているだろう。明治百五十年という節目であった今年も、まもなく終わる。平成という時代もあと四ヶ月余り。我々現代人は、幕末維新のヒーローに憧れているばかりではなく、彼らを手本にして一人ひとりが行動を起こさねばならない。私の祖父のあたりまでは真の「よかにせ」はいたと思うが、今は絶滅寸前なのではないだろうか。

「南洲先生、今ん日本はどげんじゃろうかい?今ん日本に、よかにせはおらんとじゃなかろかい?どげんじゃろうかい。せごどん。」