弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

平成三十年大つごもり

平成三十年が暮れようとしている。今年もあっという間に大晦日。私なりに正月準備も整えたり。煤払いをし、至極簡単ではあるが正月料理も拵えた。年末くらいのんびりしようと思うが、なかなかそうもいかないのが常である。 平成と云う時代も、年が明ければ四ヶ月で終わる。一年が瞬く間に過ぎ去るのだから、四ヶ月なんて目の前。平成の三十年間すら早かった。まことに。

昭和六十四年一月七日。昭和が終わった日、私は中学一年の冬休みであった。あの日の記憶は鮮明に覚えている。何日も前から昭和天皇のご容態が報道され、前夜にはいよいよご危篤である旨伝えられた。そして午前六時三十三分、昭和天皇崩御された。全メディアは一日中天皇崩御と新天皇践祚の報道ばかりで、皇室に関心を持ち始めていた私は、朝から晩までテレビの前から離れなかった。そして一ヶ月後の平成元年二月二十四日、昭和天皇の御大葬があった。冷たい雨の降りしきるモノクロ写真のような東京の街。弔砲が鳴り響き、「哀しみの極み」と云う葬送曲が吹奏される中、昭和天皇の葬列が皇居から葬場殿のある新宿御苑まで粛々と進む光景は、脳裏に焼き付いて離れない。

一方、平成二年十一月十二日、今上陛下が即位された。即位の大礼は、晩秋の快晴の下で厳かに行われた。京都御所より運ばれた天皇皇后の玉座たる高御座と御帳台は、宮殿松の間にすえられて、陛下は象徴天皇として、御即位を正式に内外に宣明された。二重橋から赤坂御所まで晴れやかな祝賀パレードや、連日に渡る饗宴が行われたが、両陛下の御成婚パレードを観たことがない私には、あれほど華やかな祝典を目の当たりにしたのは初めてのことで感動した。そして一世一代の大嘗祭が、古式ゆかしく行われ、昭和から平成に変わる時、天皇と云う存在が日本にはいかに大きなものであるか、思春期の私はいろいろと考えさせられた。小学生の頃から歴史に関心を寄せていたが、日本は有史以来、天皇を抜きにして語ることはできず、神代から現代まで、紆余曲折しながらも、いつの世も天皇がおられる事が、私の日本史を学ぶ原動力にのひとつになってもいる。

一口に三十年と言えど、様々な出来事があった。平成になってすぐ、昭和の歌姫美空ひばりさんが亡くなり、平成の終わりには、平成の歌姫安室奈美恵さんが引退した。平成初頭にベルリンの壁ソ連が崩壊し、冷戦が終結するも、すぐに湾岸戦争が始まり、新たなる脅威として世界中でテロが多発、中東戦線は常に泥沼であった。アメリカは同時多発テロにより初めて本国が攻撃を受け、ニューヨークやワシントンD.C.で多くの犠牲者が出た。その後イラク戦争に発展し、戦後も怨嗟の連鎖を招き続けている。ヨーロッパは近年、ギリシャの破綻、ロシアのクリミア併合、イギリスのEU離脱など混迷を深めている。保護主義が台頭し、米欧の関係はかつてないほどに悪化している。思えば、過去二度の世界大戦の火種はヨーロッパであった。中国は天安門事件以来、徹底的に強権国家となった。おかげで、この三十年で世界第二位の経済大国にのし上がるも、民主化は大きく後退してしまった。呼応した北朝鮮は中国の猿真似を試みたが、さすがに国力が違い過ぎて行き詰まった。ゆえに若き独裁者は、脅威と融和を織り交ぜながら、うまく安全地帯へと泳ぎ切ろうと試みている。アフリカや東南アジア、南米はいつまでたっても貧富の差が激しく、貧しい者から病気になり、天災や戦争によって真っ先に命を落とす。日本はこれらの国々とこれからどう向き合ってゆくのか。世界の勢力図はますます変わってゆくだろう。アメリカの一強時代が終わり、中国との二強を取り巻く地図になってゆくと思うが、日本は身の置き所を自らしっかりと見極めて、定めねばならない。

その日本は今どうであろう。昭和は初期に悲しき戦争時代があって、戦後日本人は不戦の誓いを立て今日まできた。平成の三十年間一度として、日本国民は戦争に巻き込まれなかった。これは当たり前の様で、これまでの歴史を鑑みれば奇跡の様である。だが一方で、平成は大災害の多発した時代であった。雲仙普賢岳有珠山新燃岳御嶽山などの火山噴火、阪神淡路、北海道、中越、東日本、熊本などの大震災が相次いだ。東日本大震災では、史上最悪の原発事故まで誘発してしまい。日本史どころか、人類史上に大きな汚点を遺してしまった。あの事故は確かに大震災による事故であり、国や東電には責任はあるが、ひいてはそれを長年許容してきたのも、我々日本人であり、原発に大いに依存してきたのも現代日本人なのである。そこを頭の片隅にすえて、発言し行動せねば、過去の人には叱られて、未来の人には笑われよう。さらに最近は、毎年豪雨による大水害が起きているが、これは一概に温暖化だけの問題とも思えない。私は何か地球全体が今、大きな気候変動の時期にさしかかってきている気がする。もしそうならば、我々人間は成す術などないが、ただ傍観することもできない。であれば、やはりそこは一人ひとりが高い防災意識を持ち、緻密なシュミレーションをし、起こった時にどう行動するか、どこへ避難するのかを常々考え用意しておくのは、もはや必定である。その様な極めて不安定な時を我々は生きている。刃の上を歩いていると心得ねばなるまい。

平成が始まった頃、日本の国家予算はおよそ六十兆円であった。さすがにバブル期絶頂と思ったが、実は今はさらに増え今年度は百兆円となった。バブルが崩壊し、失われた二十年を経た今、巨額の借金があるのに、百兆円だなんて驚きである。その予算をうまく使っているとは到底思えないのである。十数年周期で金融危機がやってくる。リーマンショックから十年、そろそろ突如として何か経済的ショックが起こるやもしれない。格差は広がり続け、日本にも貧困に喘ぐ人々が大勢いる。権力者や富裕層は、ノブレスオブリージュと云う言葉を、今一度噛み締めていただきたい。オリンピックも万博も結構であるが、本当に今の日本で開催する意義、意味はあるのだろうか。走り出している今、何を言っても無駄であり、こうした事は終わってから数年を経て、ほとぼりが冷めた頃に判明するのであろう。

 なんだか平成とは暗い時代であると捉えて書いてしまったが、さにあらず、平和であればこそ、見えてくるものがあるのだ。それは私だけではなく、誰もがちょっと考えたり、アンテナを張り、精神を研ぎ澄ましてみれば、自ずと見えてくるだろう。実は普段から目の当たりにしてるはずだ。それを見過ごし、或いは見て見ぬ振りをしているのだ。が、そうも言ってはいられない時代に我々は生きている。平成はインターネット、SNSが普及し尽くし、おかげで人生を楽しむための幅が広がり、個性を尊重しあえる世の中ができた。それらを活用して大成功をおさめる事も叶う時代。また一方ではその新しい文明の利器が、人を殺めたり、陰湿で閉鎖的な社会を構築している。ちょっと何かを誤ると、一斉攻撃して、完膚なきまでに叩き、追い込む。日本人は昔から排他的で、右向け右が落ち着く民族である。誰か一人異質とみなせば、イジメたり、村八分にする習性がある。この度合いは年々大きくなり、若年化している。なんとくだらぬ事を継承してきたことか。こんな渇いた社会、もういい加減やめねばならぬ。 昭和の終わりに生まれ、我が人生でもっとも多感な時を過ごした平成と云う時代がまもなく終わる。私もすでに人生の白秋に入り、このあとは余生の様なものだが、実はこれからの余生こそを謳歌する気満々でいる。やりたい事、行きたい場所、ささやかな願いであるが、少しずつ叶えてみたい。あと少しで平成三十一年がやって来る。あと少しで平成時代が終わる。