弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

青春譜〜新人演奏会〜

年が改まり吹奏楽部も、次のコンクールへ向けて始動する。前年暮れまでに三年生は引退し、部長以下仕切るのは二年生である。が、演奏はまだまだ心許ない。やはり三年生の力は絶大なるもので、三年生が抜けると急に乏しい演奏となる。中には二年生、一年生だけでもとてつもない演奏をやってのける学校もある。それこそ文字通りの余力であるが、そうした学校は全国大会常連校などの一握りである。無論、彼らもそれを承知しているから、本格的にコンクールへの練習が始まる四月頃までは、個々のスキルアップに精進する。まさにここが吹奏楽部の寒稽古と言えよう。その成果は三月に全国大会が開催されるアンサンブルコンテストなどで試される。吹奏楽部は団体であるが、結局は各々の演奏技術の向上に因るところがある。新入生が入ってくると、後輩の指導にもあたらねばならないから、今この時に、自分のため、有効に練習ができるわけである。

この頃、各地で開かれるのが新人演奏会。二年生と一年生だけで立つ初めての舞台であり、この先を占う意味でもなかなか重要な演奏会である。各校ともまずは腕試しといったところか。他校を聴く場合はお手並み拝見なのだが、先に述べたように衝撃的な演奏を聴いて、早くも焦ることもある。新人演奏会はその未完成がゆえの聴き応えがあり、荒削りであっても、キラリと光るモノがあれば、その学校が吹奏楽コンクールまでどうのように成長してゆくのか、ファンとしてもう一つ楽しみもできよう。私も中学で二度、高校では一度新人演奏会に出演した。高校では一度しか出演しなかったのは、エントリーはしたものの、あまりに演奏が酷かったため、直前に顧問の決断で出演辞退したためである。それほど頼りない拙い演奏であった。部員にとって新人演奏会を辞退することは屈辱的なことであったが、その悔しい気持ちをコンクールへ向けての糧としようと決意したことは覚えている。

一年生の三学期、三年生のいない吹奏楽部は、三年生の影に隠れていた二年生が、急に威勢よく取り仕切り、中には人が変わったように横柄な態度をとる輩もいた。そんな連中を私は心の中で馬鹿にしていた。部活においての縦社会というのは、吹奏楽部にも存在する。いや、むしろ体育系のクラブ以上に、先輩後輩の上下関係が根付いている場合もあるかもしれない。私とて嫌々ながらも、当時はそんな先輩達でも従わなければならない時もあり、自分を押し殺すこともあった。決して偏見などではないが、そうした輩は、特に女子に多かった気がする。三年生がいる時は、あんなに優しく挨拶してくれた先輩が、最上級生になったとたんに下級生を顎で使うようになり、挨拶すらおざなりになる。中にはパワハラめいた言動をする輩もいて、呆然としたこともあった。ことに私が所属していたクラリネットは大所帯であり、まるで大奥。パートリーダー木管楽器全体を率いることもあった。人間は目の上のたんこぶが無くなると、こうなるのかということを学んだものだ。とはいえ、そうした輩はほんの一部の人だけであったし、思うにそれは大抵中学生であって、三年生になるという責任感とか、プレッシャーを撥ね付けられないで、向かう矛先を見失ったからに違いない。さすがに高校生ともなれば、そんな子供じみた輩は私の学校にはいなかった。それにあくまでこれは私の中学時代の話であり、今から三十年近くも前のこと。現在ではそうした輩も状況も生まれないのではなかろうか。私自身は以前書いたように、確かに三年生がいなくなったら、その解放感から大いに羽を伸ばしたものだが、後輩を統率し、ぐんぐん引っ張ろうと、我ながらにがんばったと思う。決して虐めたり、威張り散らかすようなことはなかった。と思ってはいるが、果たしてあの頃、後輩達は私をどんな風に見ていたのであろう。今更ながら気になるが、もはや知る由もない。続く。