弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

青春譜~パーカッションと弦バス~

およそ人間が使う楽器の中で、最古のモノは打楽器に違いない。いわゆる太鼓の類いである。打ち鳴らすと云う言葉からも楽器とはまず打楽器であることがわかる。テクニカルなスキルは後回しにして、音を出す或いは鳴らすと云うことにおいては、これほど容易な楽器はない。私の推測であるが初めは樹木の枝とか獣の骨などを使って、木や石を叩いて音を出したであろう。それから、動物や植物の皮を張ったり、動物の骨を叩いてみることもあったと思う。打楽器は多種多様である。

トランペットが吹奏楽器の花ならば、打楽器の真打ちはスネアドラムであろう。スネアドラムとはすなわち小太鼓である。マーチならばこの楽器は必須で、楽曲全体を誘導するのがスネアドラムである。スネアドラムはかっこいい。しかしそのスキルも必要であり、スネアドラムの如何は楽曲と楽団の出来を左右するといってよいだろう。そしてまたその軽快で華々しい音は聴衆はもちろん打ち鳴らす奏者をも魅了する。パーカッションのメンバーは皆スネアドラムに憧れているし、最上級生になるまでにスネアドラムを担当することを目指す。パーカッションの主役であるからだ。

バスドラムはいわゆる大太鼓である。地味なようだが、バスドラムがないと楽曲に重厚なリズムは生まれない。つまり締まりがなくなるのだ。そしてバスドラムはスネアドラムを下支えする。スネアドラムとバスドラムは対なのである。パレードでの曲間や、マーチングの入退場では管楽器が音を出さずに整然と行進する。この時はスネアドラムとバスドラム(時にシンバルも含む)だけが一定のリズムをとるが、これをドラムマーチという。ドラムマーチは吹奏楽においては、音とリズムの根源といってよく、特にマーチにおいては骨格ということになる。いわばバスドラムは骨盤であり、スネアドラムが背骨だと思う。バスドラムは一見地味ながらなくてはならない、まさに縁の下で支える太鼓なのである。

なんだか打楽器を骨に比喩したくなった。続いてはティンパニティンパニは太鼓に違いないが音色を持っており、チューニングもする。実に不思議な楽器で、見た目からして物凄い存在感。もともとはオスマン帝国などの中世アラブの軍楽隊が、馬の両側につけた太鼓が原型である。今でもトルコの軍楽隊や、イギリス王室の近衛連隊の楽団でも、それに近い太鼓が使用されている。ティンパニは楽曲に華麗かつ力強い荘厳さを与え、その迫力ある音で楽曲を抱合するのだ。ゆえにティンパニは大切な内臓を守る胸骨だろうか。また同時に楽曲の品格を押し上げている。打楽器では珍しくティンパニ協奏曲まである。私はティンパニこそが打楽器の王であると思う。

シンバルは楽曲に句読点を与えてくれる。言うなれば骨と骨を繋ぐ関節の様だ。またドラムセットのハイアットはビートを刻む重要な楽器なのである。両手に持って互いを打ち鳴らすわけだが、接する瞬間に空気が入るとモワッとした音になってしまう。空気を如何に抜いて打ち鳴らすかにかかってくるわけだが、良い音、納得の音を出すにはそれなりの練習をしなければならない。意外と打楽器においてはその奏法がもっとも難しい楽器がシンバルではないかと思う。

他に吹奏楽で使用される主な打楽器としてはトライアングル、タンバリン、カスタネット、マラカス、木琴、鉄琴、ベルや鐘の類などひとつのパートでこれだけ種類が豊富なのもパーカッションだけである。これらが細かい手脚や指の骨となって楽曲を隅々まで支えているのである。パーカッションはまことに独自の存在ある。一部のアンサンブルをのぞいて、管弦楽団でも吹奏楽団でもなくてはならぬし、パレードやマーチングではパーカッションこそ主役と云ってよい活躍をする。ひとつひとつの楽器がこれまた個性豊かであり、あたかも動物園か水族館の様で楽しい。パートのメンバーも他のパートとは一線を画した人々が多く、職人といった感じがする。皆総じて明るい。いかにもパーカッションのメンバーは「おらが村」といった風の雰囲気があるが、かと言って閉鎖的ではなくて、寧ろ開放的。常にリズムをとり、楽曲の進行を導くのはパーカッションであると私は思う。カゲにヒナタに必要とされるパーカッションは楽器の中の楽器と云えよう。

吹奏楽でほぼ唯一レギュラーで使われる弦楽器がコントラバスである。吹奏楽では弦バスと呼ぶことが多い。弦バスがいない楽団も多いが、大所帯の吹奏楽団ではだいたい2〜3人の弦バスがいる。オーケストラでは10人近くもいるが、吹奏楽では脇役中のワキ役。弦楽器があることに編成として違和感すら覚える人までいるかもしれない。弦バスは概ねチューバと同じ低音の旋律を奏でるが、管楽器にはない弦楽器独特のシャープで柔和な音色。またどっしりと落ち着いた響音を持っていて、その音は腹の底から響いてくる。その音は意外にもよく聴こえてくるものだ。正直、弦バスはいてもいなくても問題はないのだが、やはりいた方が、私的には良いと思う。弦バスが入ることにより、楽曲はマイルドになり、同時に苦みと渋みを与えてくれる。人体は腎臓をひとつ摘出したり、万一脾臓や盲腸を摘出しても生きてゆけるらしいが、本来は何らかの役割があるから存在する臓器なわけで、必要ない臓器や骨はひとつとしてないはずである。吹奏楽にとって弦バスは低音の管楽器では出せない澄み切った低音を奏でながら、ステージ右端から楽団全体を俯瞰し見ている。指揮者が監督ならば、演奏中の弦バスが助監督のようなものだと私は思っている。吹奏楽では稀にピアノやハープその他の弦楽器をコラボレートすることもあるが、概ねこのくらいであろう。これにてひとまず吹奏楽部の楽器総覧を終わりたい。続。