弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

青春譜〜マーチング〜

吹奏楽コンクールは合奏して演奏技術やハーモニーを競うが、マーチングコンテストは演奏しながら動き、隊列を組んでパレードし、ダンスし、演技する。全日本マーチングコンテストは、今年で三十二回目で、吹奏楽コンクールよりはずっと新しい大会だ。全日本吹奏楽連盟の五十周年記念事業として始まり、マーチングフェスティバルと呼ばれていたが、平成十六年度からマーチングコンテストに改称されて、今は毎年十一月に大阪城ホールで開催されている。

マーチングバンドの編成は、ドリルと呼ばれる鼓笛隊のパレードが起源で、時代が降るに連れて志向も華やかなになり、それに比例して実技も向上していった。指導者やコーチ、上級生がコンテを作成し、課題となる既定の動作を楽曲と上手く織り交ぜながら、演技を構成してゆく。私が現役の頃、コンテストでは規定演技と自由演技があった。私の知る限り吹奏楽コンクールとマーチングコンテストで大きく違うのは、課題と自由の比重ではないかと思う。無論、どちらも大切であることは言うまでもないが、吹奏楽コンクールでは課題曲よりも自由曲に力を入れる傾向が強い。一方でマーチングコンテストは、まずは課題演技をミスなく完璧に仕上げて、自由演技は個性豊かに観衆を楽しませ、魅せる、いわばフェスティバル的要素を含んでいる。これを踏まえてなのか、十年ほど前から、マーチングコンテストは規定演技と自由演技を混在して行われるようになっている。演奏時間は6分で、規定課題のパレード行進一周、180度方向転換一回、32歩間のマークタイム(足踏みのこと)演奏を必ず演技する。6分をオーバーすると失格となる。一発勝負となったことで、より技術と表現力が求められる傾向がある。最近ではマーチングの専門家による指導やコーチを依頼しているところもあるらしく、吹奏楽界でもその進化はもっとも高度で華々しい。マーチングがブラスバンドの花形と言っても過言ではあるまい。

マーチングやパレードでは楽団を先導するドラムメジャーがいて、さらには華麗なフラッグを捌きながら、まるでチアリーディングの如く花を添えるカラーガード隊が入る。私の所属した部は吹奏楽コンクールに力を入れていたので、熱心にマーチングをやっているわけではなかったが、地区のフェスティバルやパレードには参加した。私は高三でドラムメジャーを務めた。全員主役になるマーチングのおいて、ドラムメジャーは皆を率いながらも、まことに孤独である。あの緊張感はドラムメジャーを務めた者にしかわかるまい。無論のこと入念に練習をし、規定の動きをしつつ導いてゆくのだが、練習と本番では天と地ほども違うのだ。これはマーチングに限らず、吹奏楽コンクールでもそうだし、他のどんな競技においても同じだろう。が、マーチングのドラムメジャーは、一人と楽団、という稀に見る構図であって、指揮者とも、監督とも、コーチとも違う。言ってみればバンドの大将なのだが、大将とは常に孤独なものである。ドラムメジャーが居なければマーチングバンドやパレードは進行はできないが、居なくても音楽は演奏できる。この事がドラムメジャーを孤高の存在にしている。敢えて孤高であると書いたのは、ドラムメジャーにはそれなりの経験と度量や度胸が求められ、楽器を演奏したり、マーチングを演技するよりも遥かに卓越したスキルを求められるからである。かつてはマーチングのフリースタイルでは、ドラムメジャーはメジャーバトンを巧みに操り、リズミカルにぐるぐると回したり、天高くメジャーバトンを放り投げて掴むという場面がしばしば見られた。それがマーチングのクライマックスを飾る見せ場の一つであり、観衆も固唾を呑んで見守り、成功するとまるで神が降臨した如くに喝采したものだ。しかし、今は危険と見做されて、コンテストではメジャーバトンの放り投げは禁止されている。少々寂しい。ドラムメジャーの最高のパフォーマンスは、演技が終了した瞬間の敬礼であり、あの一瞬は全観衆がドラムメジャーただ一人を見つめているだろう。こうして書いていると、私も高三の夏のあの瞬間を思い出した。今でも始まる前の緊張感と終演直後の達成感ははっきりと覚えている。今年もマーチングの季節がやってくる。続。