弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

客あしらい

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団が来日ツアー中である。私は東京公演の希望日のチケットが取れずに今回はあきらめていたが、サントリーホールメンバーズクラブから、公開リハーサルのお誘いがあり、申し込んだら運良く当選した。リハーサルでも何でもウィーンフィルを聴ける。しかも公開リハは無料なのである。ドレスコードもない。私は嬉々として出かけた。

サントリーホールに到着すると、すでに多くの人が並んでいる。ステージでは音出しが始まっていた。リハーサルとはいえ、予定の席は満席のようで、日本人のクラシック好きはいささかも翳りを見せない。果たして、ウィーンフィルの美しい音は、第一音から私を虜にした。いくらリハーサルとはいえど、ウィーンフィルである。今年のツアーの指揮は巨匠クリスティアンティーレマンと、若手の俊英アンドレス・オロスコ=エストラーダティーレマン氏は今年のニューイヤー・コンサートが記憶に新しい。私が観たリハーサルはティーレマン氏の指揮で、今や世界を代表する一人の指揮者を目の前で拝見できることに興奮した。ティーレマン氏はTシャツにジーンズ、楽団員もほとんどが普段着。それこそ私達が普段お目にかかれない非常にリラックスしたウィーンフィルハーモニー管弦楽団が目の前にいる。ティーレマン氏とメンバーの白熱したやり取りを喰い入るように見入った。

ティーレマン氏は時にメンバーを笑わせながらも、程よい緊張の糸は常に張られている。ティーレマン氏は今夜の為の音楽を追求することをやめない。この時点でもさらなるよい音楽をと云う心意気は、メンバーにも我ら聴衆にもビシビシ伝わってきた。リハーサルとはいえウィーンフィル。その音にしばし包まれて、私の心身も浄化される。一時間足らずと云うあっという間であったが、至福の時間であった。しかし、次はやっぱり本番が聴きたい。私はサントリーホールのスタッフにも感心した。スタッフの対応は無料の公開リハーサルでもいつもどおりで、私達をコンサートの観客と同様に丁寧に座席へ誘導してくれる。ある意味ボランティアのようなもので、あれだけの気持ちよい対応のおかげで、ウィーンフィルハーモニーの音楽を堪能する構えが、私達にもできるのだ。さすがに日本のクラシックの殿堂である。本物のサービスとは何たるかを心得ている。

サントリーホールを出て、私はぶらぶら歩いて、赤坂の砂場で蕎麦を食べた。私は江戸の蕎麦屋が好きで気の向くままに入っているが、赤坂の室町砂場はお気に入りで、赤坂に行けば、だいたい立ち寄ってしまう。天もりと天ざるがこちらの名物。温かいつゆに、海老のかき揚げと三つ葉が入っており、これにつけていただく。甘辛くて美味い。砂場の“もり”と”ざる”の違いは、蕎麦の芯だけを挽いた一番粉の更科粉を使用し卵でつないだ白くて薄ら黄色の蕎麦が”ざる”、黒みのある二番粉のそば粉で蕎麦の香りをふんだんに残してあるのが”もり”。後者が私好み。江戸の蕎麦は、藪(江戸起源)、更科(信州起源)、砂場(大坂起源)と三つに大別し、御三家とも呼ばれる。それぞれ蕎麦の色や食感が微妙に違い、つゆも色々。私も方々行くが、こじんまりとした赤坂の砂場は、居心地よろしく、いつ来ても落ち着く。老舗の蕎麦屋は無論蕎麦も美味いのだが、プラスアルファで店員の客あしらいがすばらしい。お客に対して付かず離れず、嫋やかに接してくれる。注文聞きも絶妙のタイミングで、見ていないようで、実は店内の隅々にまで、目が行き届いている。これは他の砂場や、藪や更科、いわゆる江戸蕎麦御三家では、だいたい同じような対応をしてくれるから、もはや伝統なのであろう。

一方、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございます」など、接客業として当たり前の事すら言えない店もある。こういう輩はアルバイトなのだろう。私の見るところおそらくは日本人なのである。先日も某本屋のレジのアルバイト店員に無礼千万な対応をされた。私がカバーや袋は要らないと伝えると商品をカウンターに放るように置き、釣銭も投げて渡してくる。私が呆然と見ていると、気にもとめぬ様子。マスクをしていたので、顔の表情まではわからないが、実に不愉快であった。もちろんそんな店にはもう二度行かなければ良いのだし、アルバイトの店員に期待しても仕方ないのだが、あまりに酷い対応にさすがに苛々してしまった。近頃はコンビニやスーパーでアルバイトする外国人も多く見かけるが、彼らの方がよほどきちんと挨拶してくれる。

サントリーホールや砂場は何にも特別な対応はしていない。ごく当たり前の対応なのである。それをさり気なくやることほど難しいことはないのだろうが、さり気なく当たり前の対応とは接遇を受けた者の気持ちを和らげ、寛ぎを与えてくれる。さらに心を豊かにして、感受性アップにしてくれる。喩え一期一会であったとしても。ゆえに音楽に感動し、蕎麦も美味いと心から思うわけだ。接客も含めて、人と人との付き合い、交わりもまた秘すれば花だと思う。