弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

茶の湯憂患

私は茶の湯の稽古を始めて五年目になる。不器用で飽きっぽい私が、曲がりなりにも五年続いた。それは茶の湯の大いなる魅力に取り憑かれ、茶道という伝統の道の灯を学ぶことに喜びを感じ、その灯を微力ながらも支えていきたいと云う気持ちに駆られたからである。そして尊敬できる師と、良き同志となる茶友に出逢えたこと。これが何よりも大きい。茶道の型を身につけて、頭で考えずとも、手が自然に動く。このところ濃茶手前の稽古をよくつけてもらうようになって、ようやく型と云うものが私も頭ではなく、我が身に沁みてきたところであった。その矢先に、新型コロナウィルスが蔓延して、やむなく茶の湯の稽古は中断された。世界中を震撼させる見えないウィルスに対して、人類は慄いている。有効な治療薬やワクチン開発に懸命に取り組んでいる方々や、自らも危険に晒されながらも、最前線にて患者を受け入れてくださる医療機関と関係者の方々には敬服するばかりであり、無力な自分と自粛してさほどの時間はたっていないのに、こんな体たらくの我が身を恥ずかしくも思う。

しかしコロナ以前、茶の湯は白秋期に入りつつある私の人生においてなくてはならない、何よりも大切なものであった。きっと誰しもそうしたものがあるであろう。茶の湯の世界に少しずつ足を踏み入れてゆくに連れて、私は茶の湯の虜になった。五年目となるこの節目の年に私は自らが亭主となり、先生を御招きしてささやかな茶会を催すつもりであったが、残念極まりない。

今「コロナ禍」としきりにいわれる。禍とはワザワイと読み、災いのことであるが、この禍が続く限り茶道界も大変な危機である。茶の湯は人と人が密接に触れ合う。亭主は一服の茶で客をもてなすために、思考を凝らし、自然な形、詫びた風情、静寂な雰囲気を演出するために腐心する。これを心尽くしと云う。もてなしを受ける客もまた全身で亭主の心尽くしを汲み取り感じるべく、五感を研ぎ澄ます。その日その時その人との茶事茶会はただ一度きり。亭主と客がその座を創りあげる。これを一座建立と云うが、これが茶の湯なのである。さらに一期一会とはまことに真なる意で、茶の極意はこの一語に尽きると思う。

余談であるが、疫病の封じ手として密閉、密集、密室の三密回避が喧伝されているが、密教にも”三密”と云う言葉がある。人間の生命現象は身体、言葉、心という三つのはたらきで成り立つとされる。ちなみに顕教では、これら三つは煩悩にて穢れているとされ”三業”と云う。密教では大日如来を宇宙の根源的な生命力とみなし、森羅万象のすべてが大日如来の現れとす。よって人間の三つのはたらきも本質的には大日如来と同じであるが、大日如来のはたらきは人間には計り知れないため、”密かなるもの”という意味で「三密」と云う。また仏と自己の三密を合致させ、仏と一体になる行を「三密加持」と云う。手に印を結ぶ「身密」、口に真言を唱える「口密」、そして心を仏の境地に置く「意密」の三行である。弘法大師は、この行で授かる功徳と大日如来の加護の力が互いに呼応する時、即身成仏が成ると説いた。

茶の湯は蜜である。茶室は密室であり、亭主と客、客同士は狭い空間に密集する。茶の湯のメインたる濃茶は、亭主が心を込めて練り上げた一碗を客一同が廻し飲みする。茶の湯の真髄は濃茶であって、濃茶でもてなすべく茶事は進行される。茶の湯のもてなしは密接なくしてありえない。コロナ以後、茶道界はかつてない危機であると私は思っている。茶道各流派は江戸期、大名家や武家の茶道師範として仕えた。私の習う表千家は、代々紀州徳川家の茶頭を務めていた。京都のお家元の表門は、紀州十代藩主徳川治宝が御成の際に紀州家によって建てられた。しかし明治維新で武士がいなくなった時、表千家も他流も茶道は一時風前の灯となった。しかし、公家や武家の上流階級や豪商の嗜みであった茶の湯は、広く庶民にも門戸を開き、習い事として普及してゆくことになる。それを支えたのは、明治維新の元勲や新しい財界人たちでもあった。昭和の戦争時代は自粛となり再び灯が消えかけたのだが、戦後、女子の花嫁修行のひとつとして茶道は人気となり、茶道界はかつてない活況を呈した。昭和後期には茶道人口も過去最高となった。

こうして幾多の難を乗り越えてきたのは、茶道界に限ったことではない。それぞれが創意工夫を凝らし、その道に関わり、愛好するすべての人々が一丸となって困難に立ち向かい、超克してきたからこそ遺り、発展したのである。茶道界は今、三度の危機である。まことに僭越かつ微力ではあるけれども、茶の湯文化が廃れてゆくことがないように、お家元をお支えし、これからも師についてゆき、同志と共に稽古に励む所存である。また、茶の湯が世の人々に理解され、再び受け入れられ、日本の大事な伝統文化の一端として、決して廃れることがないように、奮励努力したい。五百年近くもある日本の茶の湯は、そう簡単に廃れはしないし、まして若輩の私ごときに出来うることなど限られてはいるが、これを超越した先に、『私の茶の湯』があるものと信じている。