弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

なおすけの古寺巡礼 善養寺の老松

松は古くから日本人に愛されてきた。常緑樹で寿命が長く、美しい枝ぶりが我々を魅了する。縁起物の筆頭とされるのも、やはり格別の木であると云う認識があったからに他ならない。徳川家は本流の姓である「松平」の名を重んじ、松平氏は将軍家の一門を成した。また家康と祖先が同じの三河以来の譜代家臣にも称号として松平の姓を許している。江戸期を通して松平を名乗る大名は優遇され老中を幾人も輩出し、幕政に参与した。松平信綱松平定信松平春嶽松平容保らが有名である。東海道の並木に松が植えられたのも、風光を装うだけにあらず、街道を整備した徳川が権威をひけらかすためでもあったのかも知れない。新年の門松や、地蔵盆に行われる「松上げ」などの宗教的行事にも使われているのは、松が神聖視されたゆえで、針葉は邪気を祓い、とこしえに生きると信じて、その漲る力を人々は欲した。まさに日本を代表する樹木と言って良い。日本中方々に名木と云われる松があるが、実は東京23区にも堂々たる松があることを、私は最近知った。自粛生活が続いていた五月晴れの或る日、私はその松に逢いに行った。

その松は「影向の松」と云い、江戸川畔の善養寺の境内にある。善養寺は江戸川区東小岩にある真言宗豊山派の寺で、室町末期の大永七年(1527)の創建。多くの末寺を擁し、地域では「小岩不動尊」の別名でも有名らしいが、お恥ずかしながら私は今まで知らなかった。寺伝によれば、醍醐寺の頼澄法印という僧が、諸国行脚中、夢告に従ってこの地に至り、不動明王を祀ったのが始まりと云うが、諸説あって実際はもう少し古い寺とも云われる。山号を「星住山」と云う。美しい山号だ。境内にかつて生育していた、影向の松とは別の「星降り松」に由来する。その昔、星の精霊がこの松の梢に降り立ち、やがて赤青黄の石に姿を変じた。その石は「星精舎利」と呼ばれて寺の宝とされたが、赤と黄の石は紛失して青い石のみが残った。以来山号を「星住山」としたと伝わる。なお、星降り松は昭和十五年(1940)に枯死し、今はニ代目が、影向の松の後ろでずいぶん高く育っている。慶安元年(1648)、徳川幕府から朱印状を与えられ、善養寺は、小岩、船堀一帯に末寺を持つ、このあたりの中心寺院となった。天明の大飢饉のとどめとなった浅間山の大噴火では、犠牲者の夥しい遺体が利根川から江戸川へと流れてきて、善養寺近くの中洲に漂着した。舟の通行にも支障をきたし、あまりの惨状をみかねた下小岩村の人々は、ボランティアでその遺体を一体一体引き上げて、善養寺の無縁墓地に懇ろに葬ったと云う。

山門をくぐると圧巻の光景が広がる。高さ約八メートル、東西およそ三十一メートル、南北およそ二十八メートル。これが影向の松である。本堂前の庭全体を覆う見事な枝振りだ。樹齢は六百年以上と云われ、室町時代創建のこの寺よりも昔から此処にあるらしい。おそらく寺が建てられた頃には、すでに立派な枝振りであったに違いない。寺はシンボルを求めて建立された。この影向の松は、かつて讃岐の真覚寺の「岡野松」と日本一を争い、何と二十七代木村庄之助の裁きにて双方引き分けとされ、当時の相撲協会の春日野理事長が「日本名松番付」で東西の横綱とした。残念ながら西の横綱は枯死してしまい、令和の当世一人横綱である。東の横綱も一時は根が窒息状態となり衰えかけたが、寺と地元民が一丸となって土壌再生等をしたおかげで今は元気を取り戻している。街中ゆえに松食虫の被害にも遭わずにすんでいるとか。まだまだ存えそうで、まことにありがたい。

「影向の松」は奈良の春日大社にあるクロマツが元来で、影向とは、神仏が此の世にあらわれた姿を云う。春日明神の化身の翁は、この松に降臨して万歳楽を舞ったと云われ、松の木は芸能の神の依り代とされた。能舞台の鏡板に描かれている老松のルーツとも云われる。能は日本人が編み出した極めて日本らしい芸能である。能楽は日本の総合芸術であり、春日大社能楽発祥の地とも云われる。善養寺の逞しい松も能舞台の鏡板の松を彷彿とさせる。ゆえにいつの頃からか「影向の松」と呼ばれるようになった。松は繁栄の象徴であるのだ。ゆえに人は松に憧れ、松を愛でてきた。そして松の木に宿る神を拝んだのである。それは今も変わらない。

大東京の片隅に「日本一の松」がある。それは奇跡であるが、この奇跡が私は嬉しくて堪らない。現在も善養寺の広い境内は地域の人々には安らぎの場所であり、憩いの場であり、影向の松の周りでのんびりと井戸端会議をしている。五月晴れの空の下、今なお青々と繁茂する老松に、私も大きな力を得た。ただ此処にいてくれてありがとうと率直に思った。あまりに神々しい善養寺の影向の松は、私たちに生きることの意味を問うてくる。そして時には木肌に触れ、その声に耳を傾ければ、あなたにもきっと良き答えをくれるであろう。