弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

多摩丘陵に棲む

年明け早々に引越しをした。二十年近く都心を点々とした。途中、高野山に登っていた一年半を除いて、この十数年は新宿近辺に住んでいた。お茶の先生のお宅も近く、隅田川近くの職場へも近すぎず遠すぎず、程良かったが、昨年暮れ、旧マンションの賃貸契約の更新をせずに引越すことを決めた。近頃の私は心身ともに飽和状態。自らの気の流れを変え、整えたい。マインドフルネスのために引越したのである。* 転居を決めた理由は他にもある、母と同居をするためだ。母は九州の田舎で暮らしで、来年七十になる。幸いまだ元気であるが、コロナ禍でずいぶん情緒不安定となってしまった。年老いて身動き出来なくなってからでは、引越しどころか、移動も出来ないため、今のうちにと云うわけで、母も住まえる家に引越ししたのである。しかし現時点でのコロナの感染状況からすれば、母を呼べるのはまだまだ先になりそうだ。真冬の今、巨大な第三波が到来し感染状況はピーク。ワクチンが確立しても、当分は収束しないであろう。せめて暖かくなってから、減少に転じてから迎えたいと思っている。母にはもうずいぶん前から、いずれは私と暮らさないかと伝えていたが、母は迷っていた。が、ついに決心してくれた。母はおよそ七十年一度も九州を出たことがない。ゆえに相当な勇気と覚悟をもって私との暮らしを決めてくれた。迎えるこちらもそれなりに準備をしたい。 高齢者がいきなり大都会で暮らしのは難しい。知り合いは私以外にはいないのだから、せめて住環境は静かで、緑が多くて、安全に暮らせる場所が良い。かと言って、あまりに辺鄙な場所は、普段の買い物やいざ病院にと云う場合不都合である。なによりも、都心へ出勤する私にも辛い。そこで選んだのが多摩地区である。 このブログでも”私の多摩好き“はさんざん書いてきた。私自身、学生の頃、初めて一人暮らししたのも多摩であったから、青春時代を懐古しながら街歩きを楽しめる。最近は磁石に引き寄せられかのように多摩に暮らす人との交流も増えた。多摩は自然も近くて、九州の田舎を彷彿とさせる風景もそこかしこに広がっており、母にとってもビルと人ばかりの都心よりも良いだろう。 上古より人の営みのあった多摩は、23区よりはるかに古い歴史の宝庫でもある。古社寺や古民家が点在し、農地が多く見られるのも気分をほっとさせてくれる。そうなのだ。母のことだけではない。私も疲弊し切った心身を癒したいのである。埼玉や千葉も考えたが、一度も住んだことがなく、何となく足は向かなかった。面白い統計があるそうだが、東京にやってきた他所者が住む場所を決める際に、なるべく自分の出身地寄りの方角を選ぶことが多いと云う。すなわち、北海道や東北出身者は埼玉や千葉、東京23区では城北や城東地区に住み、北陸出身者は埼玉や城北、多摩の一部へ、東海、関西、中国、九州の出身者は城西、城南地区から多摩、神奈川県に住むことが多いそうだ。石川啄木上野駅に故郷の訛りを聴きに行くのも望郷の念に駆られてのことであるが、人は皆、啄木の心境を宿しているのだとすれば、東京で暮らす場所は故郷寄りの方角を選ぶのも、宜なるかなと思う。 転居決めたのは、令和二年も師走に入ってからであった。更新期限までは1ヶ月しかない。本当ならば、じっくりと探して決めたいが、時間の猶予はなかった。ネットでめぼしい物件を検索して、母と暮らせるくらいの広さと部屋数の物件を物色し、これっと思い当たればすぐに内見に行く。五軒くらい見たが、最初から気になっていた物件が、私以外に申込みがなく、すんなり決まった。場所は小田急線の鶴川駅が最寄りの町田市。鶴川駅からは多摩センターや若葉台寄りの山手の高台である。周囲は静かな新興住宅街で、街並も美しいが、いわば多摩丘陵の真っ只中に埋もれるような場所なのである。そして決め手は「武相荘」が程近いことであった。武相荘は言わずもがな、白洲次郎白洲正子が終の棲家とした屋敷である。私は此処が好きで、折々に訪ねてきた。白洲夫妻の息遣いが遺るこの辺りに、京都と同じくくらい住みたいと願っていたのだが、まさか本当に暮らすことになろうとは。母を連れてゆくのが楽しみである。近くには乗馬クラブもあるし、休日は多摩丘陵を歩き回り、まだ見ぬ寺社へも参りたい。 それにしても此処への引越しは今のところ正解であったようだ。都心よりもはるかに静か。一晩中聴こえていた”東京の音(ゴーっと云う都会の雑踏音)“がしないのである。朝は鳥の囀りで目覚め、窓の外には森が見える。空気も水も美味しい。森林浴をしながらの散歩道からは丹沢や富士山を望め、夜空には星の瞬きがくっきりと見える。此処も東京なのかと不思議な気分にもなるが、此処ならば私が次に向かうために、心身を整えてゆけるだろうと確信している。 追伸:お茶の先生のお宅は少し遠くなったが、稽古をやめるつもりはない。