弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

正気

七十五年目の終戦記念日

毎年のことだが八月に入ると、お楽しみは甲子園であるが、今年は新型コロナウィルスの影響で大会そのものが中止。交流試合を楽しんではいるが、やはり日本の夏に甲子園がないのはまことに寂しい。甲子園だけではない、文武を問わずあらゆる部活動において、これまでとはまったく違う夏になった。例年夏休みに予選が始まる吹奏楽コンクールやマーチングコンクールも今年は中止である。選手たちやメンバーの無念はいかばかりであろうか。察するに余りある。

お盆。迎え火を焚いてあちらへ行った大切な人をこちらへ迎え、盆の間共に過ごし、そしてまた送り火を焚いてあちらへ送る。私は日本の盆の風習が好きだ。こればかりは全国ほぼ似た形で行われているのをみても、日本の風土で培われたもっとも日本人らしい行いであろう。送り火の総代ともいえる京都の五山の送り火も、今年はかなり小規模にして行われるとか。もっとも主旨は何にも変わりはない。いつもどおりに迎えて、送れば良い。あちらの人々もわかってくれるであろう。八月は慰霊と供養の日々だ。先の大戦で亡くなられた方々への鎮魂も忘れてはならない。

立秋が過ぎた。蝉時雨闌。靖國神社千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ参拝。終戦の日はどちらもかなり混雑するので、なるべくなら混雑を避けて、静かに参拝したい。私は右も左もないが、毎年八月の靖國参拝は欠かさない。誰の為か。自分の為か。未だによくわからないのだが、ここでのお参りは、戦犯とか関係もなく、すべての戦没者を追悼するのみである。靖國神社遊就館の前には、軍馬や軍用犬、伝書鳩の慰霊碑がある。彼らも戦争の犠牲者である。愚かな人間が巻き込んだことを思うと、手を合わせても負い目を感じてしまう。ごめんね。

北の丸の濠端を歩いて千鳥ケ淵戦没者墓苑へ向かう。厳めしい靖國神社と違って、こちらは無宗教の国立墓地。いつ来ても人影まばらで、心静かに戦没者を慰霊できる。東京でこれほど清らかな場所はない。

俘虜記、野火、レイテ戦記など戦争文学の金字塔を打ち立てた大岡昇平は晩年言った。

「戦後日本は一億総中流となった。それはまことに結構なことである。皆、多少浮かれても仕方がない。だが、八月六日の広島原爆の日、八月九日の長崎原爆の日、そして八月十五日の終戦の日、せめてこの三日間だけは、日本人は正気を取り戻さなければならない」と。

大岡は自らもフィリピンのミンドロ島へ従軍し、マラリアに感染しながらゲリラ戦を戦い、ついにアメリカ軍の捕虜となり、奇跡的に生還を果たした。大岡が招集されたのは昭和十九年三月のことで、もはや敗戦濃厚の時、妻子ある三十五歳であった。もう戦地に送り込む若者はほとんどいなくて、中年にも赤紙が届くようになっていた。泥沼の大戦で亡くなった日本人はおよそ三百十万人あまり。このうち二百四十万人が海外の戦地で亡くなっている。途方も無い数だが、実はもっといたに違いない。特にフィリピンと中国本土は凄まじい数だ。止められなかった戦争で、犠牲になられた方々のおかげで私たちは生きている。

上皇さまは大岡昇平の言った三つの日に、六月二十三日の沖縄慰霊の日も加えられて、”忘れてはならない四つの日”とされ鎮魂された。

今や正気を失った日本人。かくいう私もそうだ。大岡昇平の言葉は、八月になると私を覚醒し、この場所へ連れ戻してくれる。日々の暮らしが激変した今年だからこそ、私は靖國と千鳥ヶ淵へ来たのだ。八月六日から八月十六日まで日本は静かになる。高らかに響くは蝉時雨だけ。その声はあたかも戦没者へのレクイエムに聴こえる。