弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

なおすけの古寺巡礼 龍口寺

鎌倉と藤沢の境目に在る日蓮宗の古刹。江ノ電江ノ島駅の傍らに在って、車窓からも大寺とわかる。私はかつてこの門前に暮らしたことがあるが、朝夕の鐘を聴きながらも、日蓮にさほど関心がなかった若かりし当時、一度も参詣しておらず、此度改めて御参りした。

寺の建っている場所はもともと聖地であったり、葬送の地であったりすることが多い。此処、龍口寺も寺が建つ前は刑場であった。鎌倉で裁かれた罪人は此処へ護送され、露と消えた。此処は日蓮聖人”龍ノ口法難”の地で、日蓮宗の聖地のひとつとなっている。

鎌倉後期、内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、まさに終末期の様相を呈していた。それを憂えた日蓮は、鎌倉幕府に国主諫暁(こくしゅかんぎょう)を行うも三度失敗。国主諫暁とは、日蓮の信ずる法華経を尊び、法華経にのみ帰心せよと説く幕府への奏上であり、かの「立正安国論」を引っさげての一大問答である。

だが、そのあまりに激烈で過激な説法は、他宗派を蔑み、排除せよと続けた結果、大非難を浴び、幕府中枢も日蓮に靡く者はなく、幕政に対する中傷と受け止め、日蓮は捕らえられ、斬首するために、龍ノ口刑場へ連行された。

いよいよ最期と覚悟を決めたその時、突如江ノ島の方より満月のような光が飛来した。強烈な光で首斬り役人の目が眩み、畏れおののき倒れた。日蓮斬首の刑は中止となったと云う。龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮をおいて他にいない。その聖跡に寺を建立したのは弟子の日法聖人で、延元二年(1337)のことである。

五重塔もある大きな寺だが、山上にある仏舎利塔は特に目を惹く。潮の香りが漂うその場所からは、江ノ島はむろん、相模湾が広々と見渡せる。遠くに烏帽子岩が見え、富士の高嶺も拝めた。

師走の嵐の朝に訪ねたが、奇しくも雲間からは龍ノ口法難の再現かと思わせる陽光が真っ直ぐに本堂に延びていた。観光客などいない静かな寺だが、やはり此処はただならぬ境域であると実感した。