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弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

心の虫干し

立秋が過ぎた。連日五輪観戦で寝不足だが、さっそく競泳の王者の凄みのあるレースや体操男子団体の執念を目の当たりにして、心から感動する。感動することは人間の感情の筆頭とも言えるであろうか。感動すること、すなわち心を揺さぶられるという経験は、実のところかつての私には著しく欠乏していたように思う。あるいは自らなるべく表さないように努めてきたのかもしれない。世の浮き事は七歩くらい下がって見るように心がけてきた。これは或る意味臆病な生き方だと思うが、若い頃、暴走しては転んできたから、なるべく転ばぬように、物事を冷静に大局的に見定めたほうがいいと思うようになった。無理して飛び込むよりも、それが格好良いと決めつけているのである。私の場合はこういう生き方が合っている。ところが、三十半ばを過ぎた頃から、冷めた自制心を次第にこらえきれなくなることが増えてきた。ことにスポーツ観戦の時は顕著で、選手の活躍にしばしば涙する。そこには御来光のような透明で眩い真実がある。世間に背を向け裏街道を歩むことを好む天邪鬼の私が、仏に帰依した鬼子母神か阿修羅のように素直な眼と心でその瞬間を捉えるようになった。これはいいことなのだろうか。そう自問自答する間もなく涙腺は決壊するのだから、これが今の私なのだろう。今、私は四十。よもや歳を重ねてからのほうが感動することが多くなるとは自分でも少し意外である。だが一方では、勝てば官軍、負ければ賊軍の風潮のマスコミ、それに追従する輩には強烈な嫌悪感があり、やはり私は天邪鬼なのか。これは自分の性分であるため生涯変わらぬであろう。案外と私のような日本人は多いと信じたいのだが…。感動の沸点は千差万別であろうが、私は選手個々の勝利への過程と常人には計り知れない孤独で崇高な精神的境地に、観戦という形でほんの少しだけ勝手に触れさせていただく。これにより私の心身は曝涼される。どちらかといえばお天道様よりお月様を愛でる私が、ひととき天照の下に曝されるのだ。この虫干しは、自己の精神の浄化と果たすべき役割を遂行する上で相当な効果がある。それから激しく揺り動かされた心の振り子はしだいにゆっくりとなり、やがて真ん中で静止した時、私または裏街道へと戻ってゆく。