弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

2020-01-01から1年間の記事一覧

皇位継承一骨肉相食む摂関家一

安和の変の五ヶ月後、冷泉天皇は東宮守平親王に譲位された。冷泉天皇はこのあと四十年もの余生を過ごされ、病弱で狂気であったことが嘘のように長生きをされた。一条天皇の御代、藤原道長の全盛期まで生き抜かれ、寛弘八年(1011)六十二歳で崩御された。守…

Tribute to Symboli Kris S

先週、シンボリクリスエスが逝った。 彼は私の最強馬であった。 一点の白もない黒鹿毛は、パドックでは光度により青鹿毛にも見えた。あの他馬を威圧するように歩く様は、まさしく王者の風格を纏っていた。 新馬勝ちして、2勝目を挙げるまで4戦を要した。足…

皇位継承一安和の変一

承平・天慶の乱が終息し、平安京には平穏な日が戻ってきた。しかしこの争乱が平安貴族に与えた衝撃は大きく、貴族社会の歪みを露呈することになった。今こそ朝廷の立て直しが急務とされた。朱雀天皇を継いだ村上天皇は醍醐天皇の第十四皇子で、母君は藤原基…

風になる時

世界が注視するアメリカの大統領選挙はかつてない激戦であった。現時点で、民主党のバイデン前副大統領が当確となって、政権移行チームが発足し、世界の首脳もバイデン氏に祝意を伝えてはいるが、トランプ大統領は敗北を認めておらず、未だ大統領選挙は終わ…

皇位継承一承平・天慶の乱一

その場所に行きたくとも行けない場所がある。行こうと思えば今日にでも行けるのに、不思議と足が向かわない。縁遠い場所。東京大手町にある将門塚は、私にとってそんな場所である。自宅からも三十分もあれば行けるし、職場からは歩いても行けるのに、これま…

なおすけの古寺巡礼 善養寺の老松

松は古くから日本人に愛されてきた。常緑樹で寿命が長く、美しい枝ぶりが我々を魅了する。縁起物の筆頭とされるのも、やはり格別の木であると云う認識があったからに他ならない。徳川家は本流の姓である「松平」の名を重んじ、松平氏は将軍家の一門を成した…

皇位継承一王朝国家一

醍醐天皇の治世は三十四年続いた。これは平安時代でもっとも長い。父の宇多天皇と、醍醐天皇から一代おいて村上天皇と続くこの間は、摂関を置かずに天皇親政が行われた時代である。宇多天皇の治世を寛平の治、醍醐天皇の治世を延喜の治、村上天皇の治世を天…

なおすけの古寺巡礼 大山詣

今年は遠出を控えている。緊急事態宣言以降、宣言が解除されてからも私は都内から出てはいない。昨秋始めた西国巡礼はおろか、好きな寺社参詣にも行かず、茶会も軒並み中止となり、東京でじっとしている。もう少し落ち着いたらと自分にいい聞かせながら、悶…

皇位継承一道真左遷一

東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ あまりにも有名な菅原道真の歌である。この歌は、道真が太宰府に左遷されるにあたり、都へは二度と戻れぬと覚悟して詠んだものだ。 しばし道真について。菅原道真は幼い頃からその秀才ぶりを示し、…

正気

七十五年目の終戦記念日。 毎年のことだが八月に入ると、お楽しみは甲子園であるが、今年は新型コロナウィルスの影響で大会そのものが中止。交流試合を楽しんではいるが、やはり日本の夏に甲子園がないのはまことに寂しい。甲子園だけではない、文武を問わず…

皇位継承一摂関始動と寛平の治一

摂関の歴史は平安時代に始まり、明治維新まで続くが、平安時代は摂政と関白と云う、公家臣下の最高職を巡って数々の権謀術数が図られ、ついに権門と呼ばれて権力を独占し、日本史上もっとも華麗に活躍した時代である。同時に王朝文化を築いた立役者は、何よ…

茶の湯憂患

私は茶の湯の稽古を始めて五年目になる。不器用で飽きっぽい私が、曲がりなりにも五年続いた。それは茶の湯の大いなる魅力に取り憑かれ、茶道という伝統の道の灯を学ぶことに喜びを感じ、その灯を微力ながらも支えていきたいと云う気持ちに駆られたからであ…

皇位継承一応天門炎上一

日本人は貴種流離譚が大好きである。貴種流離譚は折口信夫が提唱したが、大まかな概念は高貴な身分に生まれながらも時勢が味方せずに虚しく下野したり、敵の陰謀に嵌り低い身分となったりして彷徨い、もがき、その後華々しく復活する物語の事である。源氏物…

ほとけのみち 建長寺

春先、花所望の茶会へ参席するべく数年ぶりに鎌倉を訪ねた。東京から鎌倉は近い。以前はよく歩いたものだ。江ノ島近くの片瀬に住んでいたこともあり、当時は毎週末鎌倉の寺社巡りをした。近頃は関西にばかり脚が向いて鎌倉は素通りであったが、歩いてみれば…

皇位継承一承和の変一

藤原氏の起源を改めて振り返ってみたい。藤原氏は天皇家に次ぐ高貴な一族であるが、その出自はイマイチはっきりしない。日本書紀の神代上にある天の岩屋戸の神話で、天照大御神を岩屋から引っ張り出す策を練る一人に名を連ねて活躍する天児屋命は、中臣氏の…

西国巡礼 第四番 槙尾山

寺名は施福寺と云うが、槇尾山とか槇尾寺とも通称される。西国巡礼屈指の難所で、麓から本堂までは、胸突き八丁の山道を小一時間かけて登らねばならない。槙尾山の標高は六百メートルほどで、施福寺はおよそ五百メートルのところに在る。山としては大した高…

麒麟を待つか、麒麟を呼ぶか

今年の大河ドラマのタイトル『麒麟がくる』は秀逸である。麒麟とは中国の神話に登場する伝説上の霊獣で、全体は鹿のようで、牛のような尾と、馬のような蹄を持ち、頭の上に角が一本、体毛は五色に輝いているそうで、理想的な政治が実現した時にのみ現れると…

暗夜

春爛漫、空には煌々たる下弦の月が昇ってくるだろう。だが地上は新型コロナウィルスが包む闇の中。暗中模索と云う四字をこれほどに実感したことはない。この四十年あまりで世界は大胆にグローバル化した。その詳細はわざわざ述べるまでもないが、今の世界情…

皇位継承一賜姓降下一

嵯峨天皇は薬子の変(平城太上天皇の変)で揺らぐ朝廷の引き締めを図り、天皇の権威を高めるべく動いた。首謀者の薬子は自害し、兄の藤原仲成は射殺されたが、事件に与した他の者には寛大な処置をとって、ノーサイドとするよう努められた。出家し恭順する平…

西国巡礼記 第三番 粉河寺

大和と河内の国境になだらかにどっしりと横たわる葛城金剛の峰々。巡礼バスの車中から、折しも夕陽に照り映えたこの雄大な山塊を飽かずに眺めた。なんとも神秘的な印象で、上古より神山と崇められたと云うわけが、ここへ来ればはっきりする。私は河内の南側…

皇位継承一二所朝廷一

桓武天皇の二大政策は平安京造営と、蝦夷討伐であるが、どちらも道半ばのまま崩御された。この当時では無類である七十歳で大往生。歴代天皇でも長命のほうである。桓武天皇の行った二大政策は、民に重い労役と課税を敷いており、国家は疲弊しつつあった。桓…

西国巡礼記 第二番 紀三井寺

若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る 山部赤人の万葉歌である。赤人といえば、 田子ノ浦ゆうち出でてみれば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける が有名だが、若の浦〜も代表歌の一首である。鶴が鳴き渡ると云うのも、初春を寿ぐ様な調べで、暖…

皇位継承一平安遷都一

平安時代は途方もなく長い。厳密にいえば、桓武帝が長岡京から平安京へと遷都したのが延暦十三年(794)のことで、平家が滅亡した元暦二年(1185)までの三百九十一年間が平安時代である。人類誕生から旧石器、新石器、縄文、弥生時代を除けば、神代から日本…

西国巡礼記 第一番 青岸渡寺

西国巡礼は日本最古の巡礼と云われる。その発足の起源は諸説あるが、もっとも流布されてきたのが徳道上人の伝承であろう。大和の長谷寺を開いた徳道上人は養老二年(718)病を得て死んだが、冥府で閻魔大王に、「汝は諸人を救うべく本土へ還り、三十三箇所の…