弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

青春譜〜吹奏楽の甲子園〜

私の自宅近くに普門館がある。普門館は、立正佼成会が所有するおよそ五千席もの大ホールである。かつてはここで、全日本吹奏楽コンクールの中学と高校の部が開催されていた。吹奏楽の甲子園として名高い。ここで若者たちのフレッシュで、熱いバトルが繰り広げられた。吹奏楽部は皆、最高峰たる普門館を目指したのである。吹奏楽の甲子園として世に知られるようになったのは、某テレビ番組の影響で最近のことだが、昔から日本の吹奏楽の殿堂は普門館であった。余談だが、楽壇の帝王と呼ばれ、当時人気絶頂のカラヤンも、ベルリンフィルを率いて普門館へやってきた。普門館は由緒あるホールなのである。そんな憧れの殿堂のすぐそばに、大人になって住むことになるとは、当時はまったく想像していなかった。しかし、数々の名演の舞台は東日本大震災以降、耐震性に難があるとかで、使用できなくなっている。先日、散歩がてらに見に行ってみたが、普門館はいつもどおりそこに堂々建っていた。だが、壁が剥落していたり、内部には資材が置いてあったりして、まさに兵どもが夢の跡といった感であった。いずれ取り壊す予定らしく、吹奏楽の甲子園は、名古屋センチュリーホールに変わった。寂しいことだ。カーネギーホール、ロイヤルアルバートホール、オペラ座なんかは、竣工から百年以上を経ても当然のように其処に在る。日本の高度経済成長期に建設された建物は、後世に残すことを考えないで造られたのかと思うこともあるが、地震大国日本では建築工法も年々厳しくなっていて、安全を最優先に考えたら致し方あるまい。が、普門館が無くなってしまうことは、日本の吹奏楽の歴史、特に重要な黎明期から発展期の一部をごっそりと抜かれてしまう様なものだ。その点においては、不都合の極みである。しかし、吹奏楽コンクールがなくなったわけではない。吹奏楽の甲子園は名古屋で新たな歴史を刻み始めている。

 さて前回は、私が中学で吹奏楽部に入部したところまでを話をした。私はトランペットを吹くことになったが、最初は基礎体力作りから始まった。吹奏楽器は腹式呼吸を要する。そこで運動部さながらに、ランニングや腹筋をひたすらやる。新入生は入部してすぐは、楽器はおろかマウスピースさえ持てない。ランニングや腹筋jの日々。いささかキツいメニューであったが、中学生ゆえに慣れるのも早かったように思う。そして基礎体力を養いながら、一ヶ月ほどするとトランペットのマウスピースを授かり、楽器を吹くための第一歩が始まった。無論、最初から音なんか出やしない。口角の結び方、息の吹き込み方、ブレスの仕方、先輩から丁寧に手ほどきを受ける。若さとはすばらしい。基礎体力作りと同じで、マウスピースはすぐに音が出るようになり、先輩に褒められると自信にもなった。しかし、どうも腑に落ちない。それは私の希望する楽器がトランペットではなかったからだ。確かにトランペットは吹奏楽の花形である。クラリネットより遥かに目立つし、カッコ良い。だが私はクラリネットが吹きたかった。本当はオケでヴァイオリンを弾きたかったのだが、私の田舎にはオケも無くば、当時はヴァイオリンを教えてくれるところも稀で、近くにはなかった。管弦楽においてのヴァイオリンやヴィオラの役割を、吹奏楽においてはクラリネットが担っている。無論のこと、弦楽器と管楽器では大いに違うのだが、吹奏楽の合奏においては、メロディもハーモニーも、主旋律も伴奏も奏でるクラリネットは、管弦楽ではやはりヴァイオリンやヴィオラに近い。どうしてもクラリネットが吹きたかった。が、一度楽器が定まるとなかなかパートを変わることは難しく、新入生には言い出せない。当時の私はトランペットの魅力に気付けなかった。そして私は、練習を休むようになった。この続きはまた次回。

吹奏楽部に限らず、部活動の先輩とは新入生から見ると実に大きな存在であり、その時々での影響力は計り知れない。新入生は先輩に尊敬と畏怖を感じるものだ。殊に三年生は大人に見えた。三年生は親であり、兄、姉である。下級生は演奏のみでなく、日頃の立ち居振る舞いから三年生を手本とする。だから、三年生もしっかりせねばならない。そうした自覚は、三年生になると、自然に芽生えるものである。新入生が入部してパートが定まる頃、先輩たちは、夏に行われる吹奏楽コンクールの課題曲と自由曲を選定し、吹奏楽部として一年でもっとも大切で、濃密な時に突入する。日本のアマチュア吹奏楽の団体は、小学、中学、高校、大学、一般、職場団体に分かれる。小学、大学、一般、職場団体は、必ずしもコンクールを目指さずに、自由に演奏することもあるが、中学、高校の吹奏楽部は概ね、吹奏楽連盟主催の吹奏楽コンクールで、上位入賞を目指して練習する。吹奏楽連盟の主催する大会は、大きくわけて三つあって、演奏技術や表現力を競う吹奏楽コンクール、演奏しながらパレードや演技を競うマーチングコンテスト、クラリネット三重奏や金管五重奏など小編成での技を競うアンサンブルコンテスト。これが日本の吹奏楽の三大大会である。各学校、団体の人数、伝統、気質や特色によって目指す大会や、方向性に差異があるが、中には三大大会すべてを目指す学校もあるらしく、大所帯では、吹奏楽コンクールと、マーチングコンテストでグループ分けすることもある。しかしだいたいが、吹奏楽コンクールかマーチングコンテストに絞って練習に励んでいる。そしてほとんどの吹奏楽部は、まず吹奏楽コンクールを第一に目指すのである。最近は、日本のマーチングバンドも大幅にレベルアップして、すばらしい演技を魅せる団体も増えた。マーチングも華々しく脚光を浴びているが、やはり大会の規模、歴史、吹奏楽の演奏という点では、吹奏楽コンクールが最高峰の大会に変わりはない。我々は略して吹コンと呼んだりした。吹奏楽部の一年は、コンクールに始まりコンクールに終わるのだ。この連載「青春譜」でも、主題は吹奏楽コンクールを廻って、話を展開していくことになるだろう。

ちなみに前回、吹奏楽部のブラスバンドとかブラバンとか呼ばれてカッコイイ(吹部とも呼ばれるが、これはいささかカッコ悪い)と思ったと書いたが、よくよく調べてみると、正式にブラスバンドとは金管楽器と打楽器の編成で奏する場合であって、木管楽器は含まない。ゆえに吹奏楽で良いわけだが、あえて横文字にするならば、ウインドオーケストラとか、ウインドアンサンブルになるだろうか。念のため記しておく。