弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

追悼・兼高かおるさん

兼高かおるさんが逝去された。生涯にわたり百五十箇国以上もの国々を訪ねられ、その距離は地球百八十周にも及ぶとか。その記録は昭和三十四年(1959)から平成二年(1990)まで、「兼高かおる世界の旅」でテレビ放送され、まだ海外旅行が盛んではなかった時代の日本人の憧れの的となった。兼高さんは世界旅行への扉をこじ開けた先駆者である。手探りで目的地を探し、体当たりで取材した。兼高かおるさんは、旅人にとって最良の水先案内人であった。

 兼高かおるさんは、容姿端麗でいつも気品に満ち溢れていた。外国人とも実に堂々と渡り合う姿は格好良く、まるで某国の女王の様であった。ご自身を「わたくし」と呼称し、独特の語り口は優しく淑やかだが、芯の強さがにじみ出ていた。あの頃の日本人は、誰もが兼高かおるに憧れたであろう。戦後の混乱や貧困から、ようやく抜け出そうかというときに、颯爽と登場した彼女は、肩身の狭いを思いをしていた日本人に勇気と元気を与えた。また、世界における彼女の日本人としての振る舞いをみて、日本人たる誇りと自信を取り戻すきっかけとなったに違いない。果たして兼高さん自身がそんなことを意識していたかはわからないが、少なくとも彼女の立ち居振る舞いや言動からは、気高い自信と謙虚さとが同居しているように私には思える。

 兼高かおるさんはトラベルライターのパイオニアであり、多くの紀行文を残した。ここにはいちいち挙げないが、彼女の生き生きとした文章からは、旅の醍醐味が語られ、何よりもご本人が、旅を一番楽しんでおられることが直に伝わってくる。心から旅することを楽しむことで、先に述べた日本人たる誇りとか立ち居振る舞いは、彼女の中に自然と醸成されていったと思う。欧米、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、アマゾン、方々訪ね歩き、その国の風土、景色、気候、人、暮らし、食べ物を、見て、聴いて、触れて、食してきたことで、地球は様々なるカラーで染められていることを実感し、それを日本人にわかりやすく、丁寧な伝え続けてきた。時には見たくないもの、見て見ぬふりをするしかない出来事もあったであろう。旅の達人だからこそ、その思考は揺るぎ無くもフレキシブルでなくてはならない。兼高さんの言葉にはそういう思いが込められている。晩年もゆっくりと旅を続けているが、最近はだんだんおもしろくなくなってきたと仰っていた。街並がどこも同じ様になり、地域性、国民性が薄れて、お国柄がなくなりつつあるゆえにか。また、昔の日本のマナーは世界最高水準だが、そもそもが日本においてもそれを使う場所が無くなってしまったと嘆息された。

思えば、グローバル化がもたらしたものとは、いったい何なのであろうか。確かに世界は近くなった。インターネットが普及して便利になった。が、人類はますます空虚な産物になってゆく。争いをやめず、環境を破壊し、動植物を虐げる。このままゆけば、漱石三四郎の先生に語らせた如く、真の滅びがやってくるであろう。しかも今度ばかりは再起不能の滅びであり、日本人に限ったことではなく、世界規模の滅びである。兼高かおるさんは、誰よりも早く自らグローバリゼーションを体現されたことで、今グローバリゼーションの只中を彷徨う我々に、楽しみや夢だけではなく、重大なる警告を遺されたと私は思っている。