弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

平家にあらずんば

歴史的観点から今の世相を照らし合わせてみれば、実に学ぶべきところが多い。時に、歴史をやっていることなど今を生きる事に何の意味も成さないとか、現実と未来しか見る必要はないと思っている人からは、馬鹿にされることもあるが、温故知新とは真実なのである。ゆえに歴史はやめられぬ。やればやるほど、過去にも似たような世相があったことが透けてみえてくる。古典文学も同じく、源氏物語枕草子徒然草方丈記からは日本人として生きる機微を、保元物語平治物語、承久記、太平記などの軍記物からは、政治情勢や権力闘争をつぶさに垣間見ることができる。平安末期から明治維新まで、我が国は武家政権による軍事国家であったわけで、軍記物や武将の伝記は、確かに時の政治情勢を語っている。無論、こうした類のものは、ほとんどが勝者権門に都合よく書かれているのだが、すべてが虚構でもあるまい。軍記物の筆頭といえば、やはり平家物語であろう。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありから始まり、盛者必衰の理を美しい日本語と琵琶の調べにのせて切々と語る。物心がついて、少なからず世相と日本史を鑑みることができる日本人ならば、誰もがこの言葉を嚙み締めるに違いない。私のような愚物でもちょっとはわかる。

先日の東京都議選で、都民ファーストの会が大躍進し、自民党は歴史的惨敗となった。女都知事の勢いは止まりつつあったにも関わらず、この結果である。政権与党が調子に乗り過ぎたゆえの結果と断定できよう。これは日本人の気質なのだろうか。勝っても兜の緒を締めない。だからそれを諌める諺や、四字熟語がたくさんある。いつの世も日本の権力者は、栄枯盛衰であり諸行無常であり盛者必衰である。それが定なのであろう。平清盛が一代で築きあげた平家。日本の武家政権の礎を作り、後、およそ七百年続くのである。或いは、明治政府から戦前の軍事政権まで加えてもいいかもしれない。平時忠は、「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」と評した。だがその栄華はわずかに二十年余りで、西の海に墜える。綻び始めた天下の箍は、たった一つでも緩みが生じれば、元に戻す事は容易ではない。歴史がそれを教えてくれるのに、何故わからないのか。寧ろ私などにはそれが不可思議でならない。日本の事だけではなく、今、世界的に似た様な潮流ともいえる。第二次大戦終結後、最大の危機が、そう遠くない日に訪れる予感がするのは私だけであろうか。時は流れゆく水のようにすり抜けて、政は秋の落日の如く暮れてゆくのである。天下を手中にしてなお、石橋を叩いて渡っていったのは、藤原道長徳川家康くらいかもしれない。今こそ、我々は弛緩しきった箍を引き締めてゆかねばならないと思う。現代の真の天下人は、我々有権者なのだから。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。