弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

青春譜〜チューニング〜

今でも時々、中高時代の夢を見る。吹奏楽部でクラリネットを吹いていた頃の夢である。もう二十五年以上も前で、初めて楽器を吹いてから三十年は経っているが、あの頃、吹奏楽に明け暮れた日々が、よほど脳裏に焼きついているのだろう。現役の頃より楽器を奏でる夢は繰り返し見てきた。ほとんどがコンクール本番や演奏会の夢だが、たまには練習中の夢もある。だいたいが途中で目覚めてしまうのだが、目覚める度、目には共に励んだあの頃の皆の顔が残像し、耳には奏でし音が残存する。その度にしばし茫然とし、それから無性に楽器を吹きたくなる。いつまでこんな夢を見るのかわからないが、青春の欠片を拾っては落とし、落としては拾っている気がする。そのパズルは永遠に完成することはないだろう。それはわかっているが、もう二度と戻れないあの頃を追憶することが、人が少しずつ老いを受け入れてゆく過程においては必要なことではないかと思う。そんな事を想いながら、この青春譜を書いている。

私は中学でも高校でも三年生になると吹奏楽部でトレーナーという役を務めた。トレーナーは外部から専門の人を招いて、指揮者の補佐的指導を行う場合もある。具体的には音楽表現以外に、全体の演奏技術の向上、個別指導や基礎トレーニング、指揮者不在時は代指揮者となる。部員がトレーナーを担う場合もあり、その場合は主に合奏前の全体のチューニングを行う。合奏前にはまず個々でロングトーンをして、基礎音階を吹奏し楽器を温めてゆく。楽器も自分の心身も温まってゆくと、徐々に楽器と自分がひとつになってゆくのを感じる。合奏前に時間があれば、個人やパート練習で譜面をさらったりもする。楽器は季節により音の幅の広がる速度が微妙に変わる。木管楽器金管楽器も気温の変化で収縮するのだ。ましてクラリネットは木製、或いは合成樹脂製のため、他の楽器に比べて気温や湿度による影響はとても大きい。合奏前のチューニングは非常に重要になってくる。絶対音感の持ち主ならば、相当に緻密にチューニングできるのだろうか?美空ひばりさんは、バンドのたった一人の微妙な音のズレを瞬時に聞き分けて指摘されたと云う。それはさておき、絶対音感など持ち合わせない私は、チューナーやチューナー付きキーボードを駆使して(要するに自分の耳と機械に頼りながら)、バンド全体のチューニングをした。吹奏楽で行うチューニングでは、B♭の音が基本となる。オーケストラではそれより半音低いAの音でチューニングをする。吹奏楽ではクラリネットやトランペットなどB♭管が主流のため、B♭で全体を合わせるのだ。一方弦楽器は開放弦がAであり、管楽器も弦楽器に合わせてAでチューニングをする。オーケストラでは第一ヴァイオリンのコンサートマスターがステージ上で最終チューニングを担当するが、吹奏楽でも基本的にファーストクラリネットの最上級生がコンサートマスターの役割をする。場合によっては、トレーナーがコンサートマスターを兼ねて、合わせてゆくこともあり、私もファーストクラリネットであった三年生の時は、自らトレーナー兼コンサートマスターとなった。合奏前には一人ひとりB♭音をロングトーンし、トレーナーがチューナーを442Hzに設定して、チューナーの針が真ん中を指せばチューニング完了。が、これも一定ではなく、一度合ってもまたズレることしばしばあるし、先に述べたとおり、季節ごとに変わる。私が思うに冬よりも夏の方が比較的チューニングし易い印象がある。冬場は楽器がなかなか温まらないし、温まって冷えるのも早いからだろう。そんな時は個別にロングトーンをしたり、マウスピースやリードを取り替えたり、菅の長さを微妙に調整することもある。ここまでくると奏者もトレーナーも職人の如し。しっかりと音を合わせ、チューニングする事がトレーナーの重要な仕事であり、チューニング万端となって、楽団を指揮者へと渡す。責任があるゆえに緊張もするが、大変やりがいもあって、トレーナーになった時はうれしかった。

皆を誘導して、音をまとめることに苦労したせいか、夢でもっともよく出てくる場面が、演奏前のチューニングのシーン。チューニングがなかなか合わずに、何度も音を合わせるのに四苦八苦し、結局合わずに本番となって、冷や汗をかきながら演奏するなんていう夢もある。実際はそんなことはなかったのだが、思えば余程神経を尖らせていたのだろう。それほど音を合わせて、全体が美しいハーモニーを奏でることに、私のみならず、個々が心を砕いていたのである。それは意識することもあれば、まったくの無意識のうちにということもある。吹奏楽部員はそれを何となくわかっていて、いつの間にかそんな能力が個々の身についているのである。日々の練習や努力によって、ただでは決して得られない大きな力を授かるのだ。楽器や全体の音を敏感に感じるようになる。チューニングの良し悪しがわかるようになる。楽器を奏でるスキルのみならず、音楽を表現する者としての技術や能力を自然と備えてゆくことが、或る意味において吹奏楽に携わりし者の凄さなのである。スポーツでも、茶道でもそうしたモノはある。その道をゆき、極めんと欲すれば、自ずと精進し、その道をゆく者にしか備わらない力が、神より与えられるのだと私は信じている。吹奏楽にもそれはある。彼らをよく見てほしい。そして彼らが得た特別な力は、演奏の時に満開に花開き、私たちを散華の中に誘うであろう。続。