弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

青春譜〜ゴールド金賞〜

いよいよ明日から、日本の吹奏楽界最高峰の大会である全日本吹奏楽コンクールが開催される。吹奏楽コンクールは昭和十五年(1940)に創設されたが、戦争中は中断された。戦後、時勢ようやく落ち着いた昭和三十一年(1956)に再開された。今年で66回目、平成最後の吹コンである。今年は十月二十日が中学校の部、二十一日が高等学校の部、二十七日が大学の部、二十八日が職場一般の部の予定。中学と高校が名古屋国際会議場センチュリーホール、大学と職場一般は尼崎のあましんアルカイックホールで行なわれる。このシリーズを半年前に書き始めたが、あの頃に課題曲や自由曲の選定をして、地区大会、支部大会を勝ち抜いてきた学校や団体が、ついに最高の晴れ舞台へ上がるのだ。ここまで辿り着いただけでも素晴らしいことだが、ここまで来たら最高峰の中で一番の栄誉を得たい。さすがに全日本はどの学校、団体もハイレベルな演奏をする。時には中高生でもプロの楽団やオーケストラを彷彿とさせるし、聴衆を沸かせ圧倒する。私はここまで来ることは出来なかったが、皆の気持ちはとてもよくわかるつもりだ。ここにしかない眺め、ここでしか味わえない空気と緊張感、ここだからこそ響かせることができる音。それを存分に味わえる彼らが羨ましくてたまらない。

演奏する彼らはどんな想いで、あのステージに立つのであろう。確かに長い人生において、これまでの練習も、本番のステージも、ほんの一瞬の出来事に過ぎない。でもあの時、あの場所で、あのメンバーで無我夢中となり演奏したことは、ほとんどの吹奏楽部員にとって、かけがえないのモノであり、此の世を生きる糧となっているはずた。それほどに濃密な時を、栄冠に向かって歩んできたのである。ゆえに青春なのである。私のその青春は高校生で終わったが、大学や一般団体でまた見たい、或いはまだ見ぬ高い景色を求め続け、毎年コンクールに出場している人もたくさんいる。それが勝ち抜けではない吹コンの面白さである。実は五年前までは、三年連続本大会に出場すると、翌年は予選すら出ることができないという悪しき慣習があったが、私はコンクールだって、自分がもういいと思うまで、何度でも大いに楽しんで良いと思っている。

コンクール出場団体のすべての演奏が終わると、少し時間があって、審査結果が発表される。当初は1位、2位、3位と順位をつけ、優勝旗が贈られたこともあったようだが、第18回大会から金賞、銀賞、銅賞で評価されている。支部によっては前年度に上位大会に進んだ団体にシード権を与え、地区大会や都道府県大会を免除し、支部大会からの参加を認めているところもある。また、上位大会への代表校選出も審査員が話し合いで決めたり、金賞団体から最優秀を選ぶ場合もあったりと統一感がない。全日本吹奏楽連盟には強い権限はないのだろうか。各地区で、コンクールとは別の優劣を競う大会が開かれたりもしている。支部や地区独自のカラーが出せるのは良い事ではあるが、それにより他の支部ならば選出されたかもしれない学校や団体があるかもしれず、評価に差が生じることはないのだろうか。少々疑問に思うところだ。コンクールの審査員は9人いて、技術と表現をA〜Eの5段階で評価し得点化する。その得点の上位順から金賞、銀賞、銅賞のいずれかの賞が決まる。ただし、9人の審査員のうち最も高い評価をした審査員と、最も低い評価をした審査員の評価は除外される。つまり最高点と最低点間の評価を行った7人の審査員の評価となるのである。公平性を確保するためにこの様な審査方法になったと云う。

大会会長の講評のあと、いよいよ審査結果発表。発表者は、金賞と銀賞を区別できる様に、金賞には頭にゴールドをつけて「ゴールド金賞」と読み上げる。私が吹奏楽部の頃は、金賞はA金賞、銀賞はB銀賞、銅賞はC銅賞と読み上げていたが、いつの頃からか「ゴールド金賞」となっている。この「ゴールド金賞」という声を聴きたくて、厳しくツライ練習を経て、あのステージに立つのである。「ゴールド金賞」が読み上げられた瞬間の、該当の学校や団体からの大歓声は、部外者である観客にとっても感動的な瞬間である。ここで全てが報われるのだ。今年はどの学校、団体が歓喜の「ゴールド金賞」を聴けるであろうか。吹奏楽部員にとっても、関係者や家族にとっても、そして私たち吹奏楽ファンにとっても、全日本吹コンの前夜は眠れない。が同時に至福の時でもある。

五月の回でも、吹コンとは中高生にとっては甲子園であると書いた。私が毎年、神無月になると心逸るのは、吹コンがあるからだ。吹コンが終わり、来月のマーチングコンテストが終わると、冬がやってくる。そして最上級生との別れもやってくる。続。