弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

茶の正月

明日から早くも霜月である。年毎に早さが増すのは、私も人生の白秋にさしかかっているからか。一生を春夏秋冬にわける思想は、古く中国から入ってきた。青春、朱夏、白秋、玄冬。これは風水の青龍、朱雀、白虎、玄武と同じである。つまりは人の一生も四神相応と符合しているという考え方であろう。青春がいくつからいくつで、朱夏がいくつまでなんていうことは、当世各々次第だろう。これまでの我が人生を省みると、私にとっての青春とは音楽であった。幼い頃に習ったピアノに始まり、このブログでも綴っている吹奏楽がもっとも青春と呼ぶに相応しい。高校を卒業し、上京してからはMr.ChildrenGLAYをはじめ、足繁くライブに通った。私自身もコピーバンドで下手な歌を唄っていたこともある。それほどに楽器を奏で、歌うことが楽しかった。大げさに言うと、その瞬間だけ青い悩みは消え失せた。楽器も歌も腹式呼吸である。ブレスして身体中に酸素を取り込むと、脳天から爪先まで活性化された。生きていると本当に実感できたのである。

その次は馬であった。馬といっても乗馬ではなく競馬である。学生の頃、叔父に連れ出されて初めて府中競馬場に行った。それからは友人と毎週のように府中や中山へ通ったが、私には競馬は単なるギャンブルではなかった。サラブレッドの速さ、気高さ、美しさに心底惚れて、馬券購入は二の次で好きな競走馬を応援した。競馬の歴史、血統を研究して、パドックでじっくりと馬を観察し、展開を予想する。人馬一体と云うが、騎手や関係者と同様に、レースが始まると私はその馬に乗っていた。これが私の朱夏であった。競馬に対する想いは生涯無くなることはないが、ネットが普及して、馬券も容易に買える今、以前ほどは競馬場にも行かなくなった。私は競馬の浪漫から下馬したのである。ダービーや有馬記念などの大レースは買うが、昔ほど競馬に浪漫は求めなくなかった。熱は冷めたのかまだよく解らない。が、私には競馬以外にもやりたいことや、知りたいこと、行きたい場所がたくさんあるのである。

そして白秋がやってきた。今、私がもっとものめり込み、何よりも優先することが茶の湯である。茶道の稽古を始めて今夏で三年目に入った。 私が日本史に関心を持ってから、折々で茶の湯が登場した。そのためずっと気になっていて、いつか自身も稽古に通いたいと思ってきた。しかし若い頃は稽古に通う機会も、稽古をする踏ん切りもつかないまま、遥か遠くから憧れていた。結局四十を少し前にしてようやく、今の先生に出会い、表千家に入門したのである。二年以上稽古をしているが、今でも一々あたふたとしてしまい、家元が仰る「淡々と水の流れるが如く」とはなかなかゆかない。が、稽古を辞めたいと思うことはなく、茶の湯は何よりも今の私の生甲斐となった。

先日から「日日是好日」という映画が公開されている。作家の森下典子さんが原作で、三十年以上になる森下さんの茶道経験と、茶道に対する想いを味わうことができる。私は原作も読んだが、茶道経験者ならば、誰しもわかるような言葉、動き、思考がちりばめてあって共感するところが多かった。それを映画ではどう表現するのか半信半疑であったが、さすがに大森立嗣監督は、原作の良さを存分に引き出しながらも、映画ならではの茶の世界を創り上げていた。先生役を樹木希林さんが演じられたが、私が普段の稽古で、私の先生に習うことをそのまま言われている気がして、可笑しくもあり、冷汗をかいた。映画の効果もあってか、私の先生のところにも体験入門に来る人が増えている。少しばかり先輩の私は、その日体験に来る方の前で点前をし、一服差し上げる。それが自身の稽古でもある。私も入門する前は同じように体験した。「お点前のいろは」はまったく無知でも、点てられた熱い一服の茶の味は、今でも舌に残っている。何にせよファーストコンタクトは重要である。無論、体験入門までに抹茶を飲んだことは何度もあったが、これから入門するかもしれない稽古場で初めていただくお茶の味は、その後の自分の茶道や、茶の湯感を方向付ける場合もある。たとえ入門されない人にでも、美味しいお茶を味わっていただきたい。一期一会とは茶道の根本であり、それは長年の経験者も初体験の者とて変わりはない。主客皆でその日その時のその座を創り上げる。稽古であっても点前をするからには亭主として、その座を心に残るシーンにしたいと私は思っている。

とはいえ、稽古中は先生からの厳しいご指導の下、手の位置、足の運び、道具の置き場、手前の順序等、何度やっても間違ってしまう。一度指摘されたことは二度と間違うまいと思い、しっかりと復習するのだが、次回の稽古ではその指摘されたことはできても、また違ったところで間違う。以前はできていたことが、急にできなくなったり、忘れてしまうこともある。だから稽古なのである。何度も何度も稽古をして、自然と自分の体や手が動くようになるために稽古をするのだ。茶道の型、流派の型というものをしっかりと自分のものにするために。修練には時が必要だ。私のように四十から始めるよりも、飲み込みや吸収が早いはずの若い頃から始めたほういいに違いないが、先生はありがたくも稽古を始めるのに年令は関係ない言ってくださる。一番は根気なのであると私は解して、これからも稽古に励みたい。

 立冬のやってくる十一月は、茶の正月である。その年の初夏に採れた新茶を、茶壺で寝かせ、立冬の炉開きに合わせて、茶壺の封を切って、新しい茶を挽く。半年間寝かせた茶は、青臭さが抜けて、まろやかな甘みと静かな深みが出る。これを「閑味」と云う。茶壺の中には、和紙の袋に包まれた極上の濃茶と、それを保護するように薄茶となる茶葉が詰められている。茶壺の口は和紙を丸く切って蓋をし、更に和紙で封印されている。余談だが、徳川時代は宇治で収穫された茶を将軍家に献上するため、茶壺を籠に乗せて東海道中山道を下った。これを「御茶壺道中」と云い、行列は時に千人を超えることもあった。街道筋は並の大名行列以上に警備され、行き違う大名も道を譲らねばならなかった。将軍が口にするものゆえ、厳戒態勢が敷かれたのも当然のことだろう。家康と秀忠の二元政治の頃は、江戸と駿府それぞれに献上されたと云う。

茶壺の口を切ることを「口切り」といい、立冬の候、家元はじめ各所で「口切の茶事」が開かれる。口切の茶事は茶人にとって、もっとも大切な茶事であり、殊に「口切の炉正午の茶事(正午に始まる茶事)」は、もっともあらたまった茶事とされる。ゆえに、茶人にとっても、霜月こそが正月なのである。立冬まであと僅か、去年口切りした茶も僅かとなった。風炉も中置きとなって、客の方へ火が少しずつ近くなる。また押さえた風炉の灰は、あえて崩して、搔き上げ灰にされる。こうしたしつらえを「名残」と云うが、私は名残こそが、利休居士のわび茶の真髄のように思う。名残の頃ほど、まことに静かで、寂しい候はない。しかし寂寞とした中でも、まもなく炉開きという緊張感があるから、決して心身は弛緩しない。茶人の正月から一月の初釜にかけて、華やかな茶事や茶会が催される前に、束の間の静けさを存分に堪能したい。私は名残も好きである。