弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

荒ぶる天地神明

今夏の日本列島は凄まじい。ここ何年も異常気象であるが、今夏ほど同時多発で天変地異が起こることも、私の記憶ではない。酷暑、豪雨による大洪水、猛烈な台風、そして北海道の巨大地震。記憶にないと言ったが、思い出せば七年前の東日本大震災の時も、一月に新燃岳の噴火や、東北の巨大地震の翌日には長野県でも大地震があった。私は地震学や気象学のことはさっぱりわからないが、地球の地殻変動と、大気の状態、さらには潮の干満というのは、すべてが歯車のように連動していることは信じている。この星自体がひとつの生命体であり、我々はその母体に寄生しているに過ぎない。生命の誕生と死滅が、潮の干満と密接に関わりがあることからしても、この星の一部として生かされ、生きているのだと思う。

しかしよくよく考えてみれば、この星にとって人間ほど必要のない存在はあるまい。地球にとって人類とは癌細胞なのではないか。確かに人類は、現時点において地球上で最も高度な頭脳を授かり、それを有効かつ便利に用いることに成功したかもしれない。あたかもこの星の王として振舞い、我が物顔で支配した様に錯覚している。この頭脳は神から授かりしものか、悪魔からの入れ智慧なのか。真相はますますもって混迷してきた昨今、いよいよこの星は、病源たる人類の駆逐に乗り出したのやもしれない。

このところの大きな災害に遭われた方々、残念ながらお亡くなりになった方には心からお見舞いと哀悼の意を捧げたい。が、不謹慎であるとわかって、あえて申し上げたい。今、この星は怒っている。我らには想像出来ない自然災害も、地球にとっては、解毒剤を服用し、大手術を施しているのかもしれない。その治癒にはかなりの痛みも伴う。或いは、我らの天と地の神々は祟りとなってしまったか。それとも悪魔や鬼がいよいよ降臨し、せせら嗤いながら、我らを食し始めたのか。人間文明がどんなに進んでみても、自然災害に対してはどこまでも為す術なく、茫然と見過ごすことしかできぬであろう。強いて言えば、防災意識を高めることくらいしか我々にはできないのである。それにも限界はある。確かに人間は解決にむけて考える知能と行動する能力と勇気を持ち合わせている。それを必死で行使するために訴えて、これ以上の破壊を防ごうとする人々も或る。しかしそれはほんの一部の人々で、その他大勢は、普段からその怒りの声に耳を傾けようとはしていない。今、我々人間は一人ひとりが、対岸の火事とは思わずに、真剣にこの星と人類以外の生命のことを考えていかなければ、確実に滅びるであろう。人類滅亡の道は人間自らが作り、道の途切れし崖の先へと猛スピードで駆け抜けている。私にはそう思えてならない。