弧月独言

ここは私の深呼吸の場である。日々の雑感や好きな歴史のこと、旅に出れば紀行などを記したい。

多摩丘陵に棲む〜禅寺丸と王禅寺〜

都心から多摩丘陵へ越してから、一番困ったのは和菓子屋が少ないことだ。茶を点ててお供の和菓子は欠かせない。仕事帰りに都内の菓子屋で購入して帰ることが多いが、このあたりにも和菓子屋はなくはない。京都や東京の老舗や有名店も良いが、地域密着の和菓子屋は素朴でまた良いものだ。小田急柿生駅に本店を構えている和菓子屋”禅寺丸本舗。この店を見つけてからは半ば常連なりつつある。こちらの代表的な銘菓が”禅寺丸最中”である。柿を模った秋らしい菓子で、中には甘さ控えめの美味しい餡が詰まっている。小豆、白餡どちらもいける。

”禅寺丸”とは、日本古来の甘柿の品種の名で、川崎市麻生区にある”王禅寺”と云う古刹にその原木がある。甘味が強く滋味豊かな禅寺丸は、江戸にも出荷され、秋の味覚として人気だった。当初は”王禅寺丸”と呼ばれていたが、元禄の頃、江戸の市で”王”の一字が略されるようになったそうだ。目黒にある”柿の木坂”はこの禅寺丸を江戸へ運搬する道筋であったため、その名を得たとか。今でも近隣には多くの子孫樹が散在し、多摩丘陵の秋を彩っている。柿生と云う地名もむろん禅寺丸に由来してのものだ。

先日、”禅寺丸”の原木を拝みたくなって、数年ぶりに王禅寺に参詣した。都内に棲んでいる時は、ここまで来るのもけっこう遠かったが、今は私の家からわりあい至近にあり、散歩がてらにお参りできる。王禅寺の周囲は住宅街であるが、参道に入ると鬱蒼たる雑木林の長い杣道で、古池があり、反対側は梅林になっている。梅の時節にも訪れたことがあるが、境内はむせかえるほどの梅香に包まれていた。やがて古びた石段の上に山門が現れ、さらに高い場所に観音堂が在る。本堂はこの右手に在って、猫が二匹ひなたぼっこをしていた。

王禅寺は、延喜二十一年(921)の建立で、開山は高野山三代目の無空上人で、土地の豪族の庇護を受け、往時は三十六箇寺の末寺を擁し、”関東の高野山”と呼ばれた名刹である。寺領は町田から調布のあたりにまで及んでいたと云う。かつては大きな茅葺だった本堂は建て替えられ、瓦葺になっても、この寺の威厳は少しも失われてはいない。紅葉には少し早かったが、佇まいからして、やはり歴史を感じる良い寺だと思う。観光客などいない知る人ぞ知る寺であるが、多摩丘陵にある寺の中でも稀に見る大寺院である。星宿山蓮華王院と号するが、”星の宿る山”とはなんと美しい山号であろう。王禅寺のあたりは”寺家ふるさと村”があるなど、新宿や川崎や横浜の市街地から電車で1時間とかからないのに、自然の森や丘陵が多分に残っており、空気も澄んでいるため、夜は星を数えられる。たしかに星宿る寺に違いない。十一月になり、よく晴れたはりつめた夜、多摩丘陵では瞬く星がたくさん見える。